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イスラーム文明

イスラーム教の成立によって西アジア世界に生まれた文明。

 イスラーム文明(またはその具体的な内容であるイスラーム文化)は、7世紀のアラビア半島でのアラブ人社会の中に起こった、ムハンマドを始祖とするイスラーム教によって生み出された文明、文化である。その成立時期はオリエント文明やヘレニズム文化、さらにキリスト教文明よりもかなり後なので、先行する文化、文明の要素を多く取り入れてはいるが、それよりもイスラーム教の世界観と倫理観を基盤とした独自性の方が強い。
 しかしイスラーム文明をキリスト教文明や東アジアの儒教文化圏との対立という面を強調したり、さらに西欧的近代合理主義との違いを強調して、現代世界をそのような「文明の衝突」として「解釈」することが行われている。たしかに世界史と現代世界の理解の上で、イスラーム文明の独自性を理解することは大切なことであるが、それを異質なもの、排除すべきものととらえるのではなく、その差異を受け入れ、むしろ近代的合理主義の絶対化ではなく、その相対化をはかる観点で見ていく必要がある。それはさておき、次のようにその特徴をまとめることが出来る。

1.融合文明・都市文明であること

 イスラーム文明は先行する西アジアのメソポタミア、エジプト、ヘレニズムの各文明と、征服者であるアラブ人のもたらしたイスラーム信仰、アラビア語とが融合して成立した。その融合の舞台となったのは都市であったので、イスラーム文明は融合文明であると同時に都市の文明としての特徴もそなえている。特にバグダードやカイロはそのようなイスラーム都市文明が最も特徴的に現れている都市であり、それらにつながる都市のネットワークが生まれ、商品の流通、学問の広がりなどがはかられた。

2.普遍的文明であること

:アラブ民族の民族宗教として始まったが、イスラームの教えが民族を請えた普遍性を持つゆえに、各地の地域的・民族的特徴を加え、普遍性を強めた。さらに、イスラーム世界の拡大に伴い、各地の異民族をイスラーム化しながら、それぞれの文化を取り入れ、より普遍的な文明を形成した。当初のイスラーム文化がアラブ=イスラーム文化とすれば、各地の伝統文化と融合した文化としてはイラン=イスラーム文化トルコ=イスラーム文化インド=イスラーム文化があり、その他にも東南アジアやアフリカでも地域文化と融合しながら広がっていった。また、小アジア・バルカン半島に進出することによって、ギリシア文明の要素を継承することになったことも重要である。

3.世界的広がり

 アラビア半島に起こり、西アジアに広がり、それにとどまらず周辺のヨーロッパや中国の文明にも大きな影響を与え、現在も様々な形で世界中に広がっている。例えば製紙法綿織物砂糖などはイスラーム文明の広がりと共に普及した。イベリア半島のトレドシチリアパレルモを通してキリスト教世界である中世ヨーロッパ文化影響を与えて12世紀ルネサンスを生みだし、さらにルネサンスの展開の刺激となった。また中国文明に対しても、唐以来のムスリム商人の交易を通じて影響を与え、中国史の中でも明の鄭和のようなイスラーム教徒の活動も大きい。このようにイスラーム文明は世界的広がりを持つことが特徴としてあげることができる。
「太史公曰く」風に・・・
イスラームを学ぶにあたって 上の1,2,3は同じことを言っているようであるが、つまりイスラーム文明が現代においても総合的、普遍的、世界的なものであり、けっして「特殊」な「民族的」な現象ではないことを理解する上で指摘されるところである。このイスラーム文明の本質を理解することは、現在の諸問題を“文明の衝突”と捉える見方が誤っていることを教える。非イスラームのわれわれにとって、イスラームを異質なもの、おそろしいものと捉え、それを排除しようとすることが、過剰な反発をイスラーム側に与えることになる。しかし一方で、たしかに理解ににくい側面があることも事実であり、安易な“ものわかりの良さ”も禁物であろう。まず、先入観にとらわれず、謙虚に学ぶところからはじめなければならない。
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書籍案内

エマニュエル・トッド
『文明の接近 -「イスラームVS西欧」の虚構』
2008 藤原書店