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ハギア=ソフィア聖堂/アヤソフィア

ビザンツ帝国時代、都コンスタンティノープルに建造されたビザンツ様式を代表するキリスト教の大聖堂建築。537年、ユスティニアヌス帝が再建。オスマン帝国の征服でイスタンブルとなりイスラーム教モスクに転用され、アヤソフィアといわれるようになったが、トルコ共和国の現在では博物館とされている。

もとのハギア=ソフィア聖堂
現在のハギア=ソフィア大聖堂から、本来なかった4本のミナレットを画像処理で取り除いた図。
今のハギア=ソフィア聖堂
4本のミナレットが加えられイスラーム教のモスクとなった現在の姿。
 一般に、聖ソフィア聖堂あるいはセント=ソフィア聖堂ともいう。ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルであった、現在のトルコの首都イスタンブルにある大聖堂を持つ歴史的建築物。ビザンツ様式のキリスト教聖堂であったが、1453年にコンスタンティノープルがオスマン帝国に占領され、その首都イスタンブルとなると、イスラーム教のモスクに転用され、現在に伝えられている。イスラーム教モスクとしては、アヤソフィア(Hagia Sophia)という。 → NewS

皇帝ユスティニアヌスが建造

 本来はキリスト教の聖堂として建築され、532年のニカの乱で焼け落ちたが、ユスティニアヌス帝はわずか39日後に復旧に着手。神の栄光と己の栄華を永久に伝えるため、もとの教会よりはるかに壮大な規模とした。5年半の歳月をかけて537年12月に完成した時、ユスティニアヌスは「我にかかる事業をなさせ給うた神に栄光あれ。ソロモンよ、我は汝に勝てり!」と叫んだという。ソロモンとは旧約聖書に出てくる壮大な神殿を築いたイスラエル王国の王のことである。
 ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルにあって、帝国の国教であるギリシア正教のコンスタンティノポリス総主教座(コンスタンティノープル教会)がここに置かれた。

ビザンツ様式建築の特徴

 建物はビザンツ様式の典型である巨大な円蓋(直径33m、高さ55m)を中央にもち、それを沢山のアーチと柱で支える。沢山の窓から内部に光が射し、宗教的な効果を高めた。

アヤソフィア=モスク

 1453年コンスタンティノープルが陥落し、ビザンツ帝国が滅亡した後、オスマン帝国のメフメト2世は、コンスタンティノープルをオスマン帝国の首都イスタンブルとして改造した。その際、この聖堂もイスラームのモスクに転用されアヤソフィア=モスクと言われるようになった。その4隅に立つ塔は、ことの時あたらに設けられたミナレットである。トルコ共和国となってからは、ケマル=アタチュルクが世俗化(政治と宗教の分離)を進め、1935年にモスクとしては使用せず、博物館として内部を公開、世界遺産にも指定されている。

NewS 揺れる融合の象徴

 建立から1500年がたち、キリスト教会、イスラーム教モスク、無宗教の博物館と性格を変えながら、東西の文化の融合の象徴として世界遺産にも登録されている「アヤソフィア」をめぐり、最近、トルコ政府とギリシア政府の間で対立が起きている。
 2020年5月29日、現在は博物館となっているアヤソフィアの普段は静寂に包まれる建物の中にコーランの朗読が響き渡った。オスマン帝国がビザンツ帝国の首都だったこの町を征服してから、567周年を記念する式典が政府主催で開かれたのだ。
 ギリシア外務省は即座に「コーランの朗読は、世界中のキリスト教徒の宗教的な心情に対する侮辱だ」と反発した。それに対してトルコ外務省は「ギリシアは首都にモスクがない欧州唯一の国。コーランの朗読で動揺した事実は、不寛容な心理をよく表している」と皮肉を込めて反論した。
モスク化への懸念強まる 1935年、トルコ共和国の建国の父とされるケマル=アタチュルクが、イスラーム教を後進性の象徴とみなして厳格な政教分離にもとずく世俗主義を導入した際、アヤソフィアはモスクから無宗教の博物館に変えられた。ところが近年、親イスラーム政党を率いるエルドアン大統領は昨年3月、「我々はアヤソフィアをモスクと呼ぶことになる」と発言、支持基盤であるイスラーム保守層にアピールの狙いがあったとみられる。今月3月の与党の会合では、モスク化へ向けた作業に入るように命じた。来月2日には行政裁判所がこの問題に判断を出す。それによってアヤソフィアのモスク化が現実となる見通しで、ギリシアだけでなく、人類全体の文化遺産としての観光資源が失われるのではないかというトルコ内外の懸念も深まっている。<『朝日新聞』2020/6/14 記事>

NewS モスク化後、初めて礼拝が行われる

 NHK他の報道によると、2020年7月24日、イスタンブルのアヤソフィアで、再モスク化後初めて、イスラームの礼拝が行われた。トルコ共和国のエルドアン大統領も出席した。隣国ギリシアではかつてキリスト教会であった聖ソフィア聖堂でアッラーへの祈りが捧げられることに強く反発しており、両国関係の悪化が懸念される。それだけでなく、トルコ共和国のケマルパシャ以来の世俗主義はどこへ行ってしまったのか、キリスト教対イスラーム教の対立という、中世の十字軍時代に戻ってしまうのか、といった懸念が現実のものとなってしまった。AFP BB ニュースサイト
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浅野和生
『イスタンブールの大聖堂』
2003 中公新書