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コソヴォの戦い

1389年、ムラト1世のオスマン帝国軍が、セルビアのコソヴォで、セルビア・ボスニア・ブルガリア・ハンガリーなどのキリスト教連合軍を破った戦い。バルカン半島は長いオスマン帝国による支配下におかれることとなった。

 13世紀末に小アジア西部に成立したイスラーム教国オスマン帝国はビザンツ帝国の弱体化に乗じて積極的にバルカン半島への進出を始め、ムラト1世1361年ごろにはアドリアノープルを占領した。さらにスラヴ系諸国の対立で分裂している情勢を見たムラト1世はバルカン内部に侵入した。

セルビア、ボスニアなどの連合軍の結成

 迎え撃つバルカン半島のキリスト教国はセルビア王国ボスニア王国を中心に、ブルガリアアルバニアハンガリー、さらにヴェネツィアからの軍隊も加えて連合軍を形成し、1389年にコソヴォの平原でオスマン軍と対決した。

オスマン軍の勝利とその背景

 ムラト1世の率いるオスマン軍を構成するのはトルコ人だけではなかった。既に投降したビザンツ帝国のギリシア人やブルガリア人、さらにセルビア人も含んでおり、彼らはオスマン帝国の寛容な宗教政策でキリスト教信仰を守ることがゆるされていた。オスマン軍は、「トルコ軍」でも「イスラーム軍」でもなかったのである。
(引用)実際、征服戦のなかで降伏したりオスマン側についたバルカン半島のキリスト教徒騎士たちは、オスマン騎士として再登用されることが可能であった。キリスト教聖職者や末端の官吏たちも、オスマン支配体制にくみいれられた。新支配者のキリスト教徒農民にたいする公平な課税政策などは、広く確認された事実である。バルカン半島における長い戦乱と分裂状態ののち、オスマン勢力による安定した支配はむしろ歓迎されたといわれる。<林佳世子『オスマン帝国の時代』世界史リブレット19 1997 山川出版社 p.12-13>
 戦闘の直後、捕虜となったセルビア貴族の一人がムラト1世を殺害したが、戦いはオスマン軍の圧倒的な勝利で終わった。この戦いの敗北を機にバルカン半島はオスマン帝国の長い支配を受けることとなる。またセリム1世はこれらのバルカン半島諸国との戦いを経て、キリスト教徒の子弟を徴兵してスルタン直属兵とするイェニチェリを創設する。

コソヴォのその後

 コソヴォの戦いでキリスト教連合軍を指揮したセルビア公ラザールの娘婿ミロシュ=オビリッチは、投降して靴に口づけすると見せかけ、隠していた短剣でスルタン・ムラト1世を刺殺した。しかしオスマン軍はムラト1世を引き継いだ息子バヤジットが総攻撃を開始し、ラザールは捕らえられてムラト1世の遺骸のそばで首をはねられた。ラザールの遺骸は、現在ベオグラードのサボールナ教会に首のないまま安置されている。<千田善『ユーゴ紛争』講談社現代新書 1993 p.174>
 第二次世界大戦後、コソヴォ(またはコソボ)は長くユーゴスラヴィア連邦の一部であったが、連邦が崩壊した後、セルビア領のコソヴォ(コソボ)自治州とされた。しかし、オスマン帝国時代以来、イスラーム教徒のアルバニア人が多く住むようになり、セルビアのキリスト教徒と対立が続き、独立を宣言するに至っている。 → コソヴォ問題 

Episode セルビア人にとってのコソヴォの屈辱

 600年以上前のコソヴォの戦いでの敗北は、セルビア人にとって民衆が文字を知らないなかでも「グスラ」という弦楽器に合わせて語り継がれ、歌い継がれてきた。それはちょうど琵琶法師が伝える平家物語のようなものだ。コソヴォの戦いがあった6月15日(新暦では28日)は4世紀に殉教した聖ヴィトウスの祭日でもあり、セルビア人がかつての民族の栄光が失われたことを嘆き、外敵に抵抗して民族統合を願う特別な日となった。そして1914年6月28日にはサライェヴォ事件が起こった。

Episode コソヴォの戦い600周年記念集会

 1989年6月28日、「コソヴォの戦い」の6百周年を記念して、コソヴォ・ポーリェ(コソヴォ平原)で、約百万のセルビア人が集会を開いた。この集会は(この時のセルビア共和国の)ミロシェヴィッチ体制公認のものであり、これがアルバニア人の民族感情を刺激したことは、容易に想像される。すでにこの年2月には、コソヴォのアルバニア人鉱山労働者が坑内に立てこもって自治権確保を要求、ストが他の町それに対して共和国政府はコソヴォを連邦人民軍の管轄下に置いて弾圧した。40年1~2月にもコソヴォ各地でセルビア人とアルバニア人の衝突事件が起き、91年からのユーゴスラヴィア内戦への起爆剤となった。<柴宜弘『ユーゴスラヴィア現代史』岩波新書 1996 p.144-145>
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書籍案内

千田善
『ユーゴ紛争』
1993 講談社現代新書

柴宜弘
『ユーゴスラヴィア現代史』
1996 岩波新書

林佳世子
『オスマン帝国の時代』
世界史リブレット19
1997 山川出版社