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第2次産業革命

19世紀後半に急速に重化学工業が工業の主力となった産業の変革。第1次産業革命が石炭を燃料源とした軽工業部門で起こったが、第2次産業革命は、石油・電気をエネルギー源とした重化学工業部門で起こった。資本の集中、巨大化が進み資本主義の帝国主義段階への移行をもたらした。

 第1次産業革命が木綿工業を中心とした軽工業から起こったのに対して、第2次産業革命は鉄鋼・機械・造船などの重工業、そして石油資源を利用した化学工業という重化学工業部門での技術革新から始まった。また、第1次産業革命はイギリスからはじまったが、第2次は19世紀の後半のドイツアメリカの産業革命において顕著な発展を見せた点が異なっている。

第2次産業革命の主な技術革新

  • 鉄鋼 製鉄業では、1856年、イギリスのベッセマーが、鋳鉄に空気を送り込んで炭素を除去し、より高度の高い鉄鋼を安価に製造するベッセマー法の製鉄を発明した。
  • 電気 1831年にファラデーによって電磁誘導の原理が解明され、産業への利用が始まった。翌年は発電機が実用化され、1879年、ドイツのジーメンスが発明した電動モーターが新しい動力源とされるようになった。
  • 内燃機関 石炭を燃料とする蒸気機関に代わり、石油を燃料とした内燃機関が生まれた。ドイツのダイムラーはガソリンエンジンを完成させ、自動車生産に乗り出した。同じくドイツのディーゼルは、空気の圧縮による自然発火システムを利用したディーゼル機関を発明、内燃機関の小型化に成功した。
  • ダイナマイト 1867年、スウェーデン人のノーベルが発明、爆薬は広く開発・軍事に利用されるようになった。ノーベルはその特許で得た資産を元にノーベル賞を創設(1901年)した。
  • 通信 人々の生活に密着した通信技術も激変した。アメリカのモールスが1838年に電気信号を使って電気通信に成功し、1844年に実用化、1851年にはドーヴァー海峡に海底電信ケーブルが敷設された。1876年にはアメリカのベルが音声通信、つまり電話を発明した。また1895年にはマルコーニが無線通信を発明、20世紀の通信革命をもたらした。

独占資本の形成と帝国主義へ

 また、エネルギー源は第1次産業革命では石炭であったが、第2次産業革命では石油電力が主力となった。これらの重化学工業と石油エネルギーの利用は莫大な資本を必要としたため集中・独占が進み独占資本が、カルテル・トラスト・コンツェルンなどの形態で成立した。さらに資源や市場の獲得競争が激しくなってると、国家権力と結びつきを強め、原料や労働力の確保、商品の市場、資本の投下先として植民地を拡張しようと努めるようになり、1870年代以降、帝国主義に移行していく。
 第2次産業革命を押し進めたのは南北戦争で国家分裂の危機を乗り越え統一を強めた後のアメリカ合衆国と、普仏戦争でフランスを破り、領邦国家の分裂を脱して統一を達成したドイツ帝国であった。第1次産業革命の推進国であったイギリスはここでは明確に後れを取り、軽工業から重化学工業への構造転換には失敗した。しかしイギリスはその後も、金融や通信、保険業などの新たな分野では主導権を握り続けた。
クルップとジーメンス そのような第2次産業革命の中から生まれ、ドイツを代表する軍需産業となったのが、ライン地方のエッセンをから興ったクルップ家で、鉄道のレールの生産で急成長し、機械、造船、大砲などの兵器製造に事業を拡大し、その後の二度にわたるドイツの戦争の武器を調達し「死の商人」といわれた。また電動モーターを発明したジーメンスは1847年にジーメンス商会を設立、電気通信部門の独占企業へと成長した。
カーネギーとロックフェラー アメリカでは鉄鋼王と言われたカーネギーが登場した。彼はスコットランド移民で苦労を重ねながら製鉄会社を興し、ついにはアメリカの鉄鋼の4分の1を支配する独占企業に成長させた。引退後はカーネギー財団を設立して社会事業に取り組んだことは有名。一方、石油産業で大成功を収めたのがロックフェラーで、1870年にスタンダード石油会社を設立、同業者を次々と買収して一大トラストを形成し、アメリカの石油業の9割を独占するに至った。またモーガンは、1871年にモーガン商会を設立して、鉄道、製鉄、金融などに渡る一大コンツェルンを形成した。 → アメリカ帝国主義
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