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南北問題

1960年代以降に顕著となった、先進工業国と発展途上国の経済格差に伴う利害の対立をいう。

 先進工業国が主として北半球の中緯度地帯(温帯)にあり、発展途上国はその南の低緯度地帯に多いので南北問題と言われる。1950年代までは西側先進資本主義国では、アメリカの経済力が群を抜き、他の諸国は第二次世界大戦の痛手から回復することに努めなければならないという状態が続いた。1960年代にイギリス、フランスは低迷したが、西ドイツと日本はめざましい回復を遂げた。それに対してソ連を中心とした東側諸国は社会主義経済の建設という形でアメリカを中心とした資本主義陣営と対抗し、両者の対立は東西冷戦として戦後の基本的な対立構造となった。いわばこの段階は「東西問題」の時代であった。

東西問題から南北問題へ

 1960年代になると、アフリカの年といわれたアフリカ諸国の独立など、旧植民地(または半植民地状態であった国)が民族独立を遂げ、国際政治の上でも台頭し第三世界を形成していったが、社会資本の未整備などにより経済成長は遅れ、先進諸国との格差は広がり、国内では貧困問題、民族対立などに悩まされるようになった。
 発展途上国は先進工業国への原料提供と市場としての地位にあり、先進国はかつてのような領土的支配はしないものの、途上国を経済的にコントロールするという新植民地主義が横行するようになったため、途上国の反発が強まった。国際連合でもこの問題が取り上げられるようになり、1962年の国連第17回総会では発展途上国の開発と経済発展に全世界が協力することが決議され、国連貿易開発会議(UNCTAD)が創設された。こうして60年代には先進国と発展途上国の利害の対立が明確となって、南北問題といわれるようになった。
 1970年代にはベトナム戦争などを要因としたアメリカ経済の落ち込みもあって、1980年代には日本及びヨーロッパの経済が成長、世界経済はアメリカ・西欧・日本の三極構造となり、1985年のプラザ合意でアメリカ経済を大国間で救済する措置をとった。ついで東欧革命による社会主義国家崩壊から一気に1991年のソ連の解体にまで進んで、東西冷戦時代は終わりを告げた。

南北問題から南南問題へ

 その一方で途上国の中にNIEsが成長し、また資源ナショナリズムも高まる中で新たに南南問題が浮上してきた。1990年代から21世紀にかけて湾岸戦争を機にアメリカの世界戦略が強まると、中東での民族・宗教対立から発したイスラーム原理主義のテロ攻勢が世界を震撼させた。これは南北問題が継続しているともとらえられ、さらに新たな多国籍企業による途上国民衆の生活と環境の破壊というグローバリゼーションのもたらす問題が深刻になっている。