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エデッサの戦い

シャープール1世(右)
馬上のシャープール1世(右)に命乞いするウァレリアヌス帝(左)
イラン・ナクシュ・ルスタムの浮き彫り
<『世界の歴史4』中央公論社 p.293>

260年、ササン朝ペルシアのシャープール1世の軍がローマ軍を破り、皇帝ヴァレリアヌスを捕虜にした戦い。

 226年にパルティアを倒したササン朝ペルシアのアルデシール1世は、勢いを増して小アジアに進出したが、途中で没し、長男のシャープール1世が後を継いだ。シャープール1世が小アジアからさらに地中海を目指し勢力を拡大すると、ローマ帝国はパルティアを滅ぼしたササン朝の拡大を畏れ、シリアの中心地アンティオキアを守るために出兵した。244年、皇帝ゴルディアヌス3世は自らクテシフォン近くまで進出したが、マッシケの戦いでシャープール1世に敗れ、戦死した。ローマは賠償金を払って和平したが、10年後にはシャープール1世は6万というローマ軍を破り、アンティオキアなどを占領して捕虜をペルシアに連行した。

シャープール1世、ローマ皇帝を捕虜にする

 ついで260年、エデッサの戦いでローマ皇帝ウァレリアヌスを捕虜にしてローマに屈辱を与えた。エデッサはユーフラテス川上流にあり、現在のトルコの東部の地。ローマ帝国はこの地を拠点とし、ササン朝と抗争を繰り返していた。
 シャープール1世はこの勝利を記念して、アケメネス朝歴代の王墓のふもとに、堂々たる騎乗のシャープール1世にむかってひざまずき、命乞いをするウァレリアヌス帝を描いた浮き彫りを造らせた。<中央公論社『世界の歴史4 オリエント世界の発展』1997 p.293>

エデッサ伯国

1089年、第1回十字軍が十字軍国家の一つとしてユーフラテス川上流に建国した。1144年にザンギー朝によって倒された。

十字軍国家、エデッサ伯国

 かつてローマ帝国軍がササン朝軍に敗れて皇帝が捕虜となったエデッサの戦いのあったところであるエデッサは、その後、ササン朝の滅亡により、イスラーム国家のアラブ人支配下に入ったが、その住民の大部分はアルメニア人であり、彼らは早くからキリスト教の単性説をかかげるアルメニア教会の信仰が根付いていた。
 第1回十字軍の際、フランスの騎士ボードワンがこの地を占領して、1098年、エデッサ伯国(伯領ともいう)をつくった。ボードワンはエデッサ伯として、イェルサレム王国を宗主としてあおぐ十字軍国家のひとつとして統治した。その後もエデッサ伯国は十字軍運動の拠点としてセルジューク朝と対抗し続けたが、1144年、新興のイスラーム勢力ザンギー朝の攻撃を受けて陥落した。
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ノートの参照
1章1節 キ.パルティアとササン朝