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サムニウム戦争

前4世紀のローマによる中部イタリアのサムニウム人に対する征服戦争。

サムニウム人とはイタリア人の一派で、ラテン人より南の半島中部(カンパニア)から東南部のアペニン山脈で牧畜を主に生活して多人々で勇猛な戦士を擁していた。ローマは前4世紀後半からサムニウム人への攻勢を強めた。
第1次サムニウム戦争とラテン同盟戦争 前343~341年 サムニウム人の都市カプアが山地の同じサムニウム人から攻撃され、ローマに支援を要求。このサムニウム人の内紛に乗じてローマはカンパニアに進出した。カプアはかえってローマの支配を恐れ、反旗をひるがえしたが、ローマはそれを破り、カンパニアを併合した。ラティウム地方のラテン人諸都市はローマを盟主としてラテン同盟を結んでいたが、独立を脅かさると危機感を持ち、翌340年、ローマに戦いを挑んだ(ラテン同盟戦争)が、前338年に敗れた。周辺の都市との全面的な戦争に勝利したローマはラテン同盟を解消した。ローマは征服したサムニウム人とラテン人の諸都市にたいし「分割統治」をもって臨んだ。
第2次サムニウム戦争 前327~290年 ローマは残る南イタリアの併合を進める。ギリシア人の植民都市であったナポリを占領、さらに山岳部のサムニウム人に迫る。苦戦の末、前305年それを破り、ローマの勢力がアドリア海に達する。前290年までにサムニウム、エトルリア、ルカーニ、ウンブリなどの諸種族すべて降服した。この戦争に際して、ローマはアッピア街道を建設した。
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ノートの参照
第1章3節 イ.地中海征服とその影響