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サムニウム戦争

前4~前3世紀、ローマによるサムニウム人に対する征服戦争。3次にわたる戦争で前290年までにローマが勝利し、イタリア半島中部を制覇した。同時期にラテン同盟戦争も行われた。

 中部イタリアの都市国家の一つにすぎなかったローマであったが、前367年のリキニウス・セクスティウス法制定までに、ローマ共和政の国家体制をつくりあげ、平民を重装歩兵とする強力な戦力を持つに至った。それによって前4世紀後半から、周辺の都市に対する征服活動を展開した。このサムニウム人・ラテン同盟都市との戦争が、ローマの半島統一戦争の前段階となった。

イタリア半島中部の制圧

 まずローマの制圧する対象となったのは、サムニウム人と、ラテン人の都市国家であった。サムニウム人とはイタリア人の一派で、ラテン人より南の半島中部(カンパニア)から東南部のアペニン山脈で牧畜を主に生活して多人々で勇猛な戦士を擁していた。彼らは都市を造らず部族連合国家を形成していた。ローマは前4世紀後半からサムニウム人への攻勢を強めた。
第1次サムニウム戦争 前343~341年 サムニウム人の都市カプアが山地の同じサムニウム人から攻撃され、ローマに支援を要求。このサムニウム人の内紛に乗じてローマはカンパニアに進出した。カプアはかえってローマの支配を恐れ、反旗をひるがえしたが、ローマはそれを破り、カンパニアを併合した。
ラテン同盟戦争 ラティウム地方のラテン人諸都市はローマを盟主としてラテン同盟を結んでいたが、独立を脅かさると危機感を持ち、翌340年、ローマに戦いを挑んだ(ラテン同盟戦争)が、前338年に敗れた。周辺の都市との全面的な戦争に勝利したローマはラテン同盟を解消した。
第2次サムニウム戦争 前326~321年/316~304年 前341年には和解したサムニウム人との関係が悪化。前321年のカウディウムの闘いでは待ち伏せに遭ったローマ軍が降伏した。その後も断続的に闘いが続き、ローマは苦戦したが、前305年にようやくそれを破り、ローマの勢力がアドリア海に達した。この戦争に際して、前312年、ローマはアッピア街道を建設した。
第3次サムニウム戦争 前298~290年 サムニウム人派エトルリア人、ウンブリア人(ローマ北方の山地民)、ガリア人と同盟を結びローマと対抗、イタリア半島全域をまきこむ大戦争となったが、ローマ軍が重装歩兵部隊の活躍で各地で勝利をおさめ、サムニウム人以下の諸種族を服従させた。
ローマは征服したサムニウム人とラテン人の諸都市にたいし「分割統治」をもって臨んだ。

ホルテンシウス法の制定

 これらの戦争で都市国家ローマの支配領域はイタリア中部に広がった。その結果、重装歩兵として戦争を押し進めた平民(プレブス)の中に、土地を分配されて富を獲得した有力者とそうでないものとの差が拡大し、不満が強まった。それを解消する目的で制定されたのがホルテンシウス法で、それによって平民会の決議が元老院の承認なしに国法とすることによって平民の不満を解消した。
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ノートの参照
1章3節 イ.地中海征服とその影響