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元老院

古代ローマの共和政から帝政まで続いた最高機関。貴族から選出された終身議員によって構成され、当初は諮問機関であったが、共和政では最重要の決議機関となる。帝政期も存続したが有名無実化した。

 古代ローマの共和政から帝政まで一貫して国家の最重要機関となったもので、ローマ市民(成年男子)が参加する民会に対し、貴族(パトリキ)のみから議員が選ばれる。ローマの公共広場(フォルム)に建物があった。定員は当初300人で、議員は30歳以上、いったん選出されると終身議員であった。初めはローマ共和政の中心となったコンスル(執政官)や独裁官の諮問機関という位置づけであったが、次第に元老院がコンスルを牽制する存在となり、大きな力を持つようになる。

元老院が力を持った理由

 コンスル(執政官)は、平民の参加する兵員会で選出され、元老院を召集したり、会議の議題を決める権限を有していたので、元老院は一見、諮問機関に過ぎないように見えるが、権力の独占を避けるためにコンスルは任期が一年と定められていたのに対し、元老院議員には任期が無く、終身の地位であった。そのため、元老院議員の方が経験を蓄積し、信望を得るようになった。戦争の開始と終結、凱旋式の承認、条約締結などの決定権は元老院が握るようになり、共和政中期にはローマの実質的な最高議決機関として機能するようになった。<青柳正規『ローマ帝国』1994 岩波ジュニア新書 p.26-27>
 ラテン語でセナトゥス senatus といい、英語のsenate(上院)、senator(上院議員)はこれに由来し、現代のアメリカでも上院は senete という。また、共和政ローマ時代の記念碑に必ず刻印された「SPQR」は、Senatus Populusque Romanus (元老院とローマ市民)の頭文字で、共和政の理念を示している。

新貴族の出現

 前5世紀からローマの半島統一戦争が進むにつれて、重装歩兵となって活躍した平民(プレブス)の発言権が強くなり、身分闘争が展開された結果、前4世紀には法的には貴族と平民の差が無くなった。その結果、平民でも富裕なものは元老院議員になるようになり、彼らは新貴族(ノビレス)といわれるようになる。

閥族派と平民派の対立

 前3世紀にポエニ戦争が始まり、ローマが海外に属州をもつようになると、都市国家・共和政ローマの維持が難しくなってきた。その中で台頭したのが、属州の徴税請負人などとして利益を得、さらに貴族には認められていなかった金融業などで富を蓄えた騎士(エクイテス)が台頭した。彼らは元老院を拠点として既得権を守ろうとする貴族(新貴族も含む)と対立するようになる。彼らの利益を代表し元老院の権威に挑戦したのが平民派で、それに対して元老院の特権を守ろうとしたのが閥族派である。この両派の対立は前1世紀の「内乱の1世紀」となった。平民派のマリウスが一時期権力を握り、元老院はその力を無くしたが、マリウスの死後、ローマに帰還して武力制圧した閥族派のスラは、平民派を一掃し、元老院を復権させ、その議員定数を300から600に増員した。

帝政と元老院

 その争乱から台頭したカエサルが権力を一身に集め、つぎつぎと元老院の権限を奪っていくと、皇帝が出現して共和政治が否定されると恐れた共和派のブルートゥスらが、カエサルを暗殺した。しかし、ブルートゥスらのねらいは共和政治の維持と言うより元老院の既得権を守ろうとするものに過ぎなかったから民衆の支持を受けることが出来なかった。カエサルの後継者をめぐってアントニウスとの争いに勝利したオクタウィアヌスは、カエサルの失敗を繰り返さないため、元老院に一定の配慮をし、それを存続させ、尊重する姿勢を取った。元老院は彼にアウグストゥスの称号を与え、アウグストゥスも「市民の第一人者」として元老院の承認のもとで統治するというプリンキパトゥス(元首政)がおこなわれることになったが、これ以降、ローマ帝国では元老院は形骸化し、その議員の地位は名誉職的なものとなっていく。代わって官僚や軍人として皇帝の政治を支えたのが騎士出身の人々であった。
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ノートの参照
第1章3節 ア.ローマ共和政
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青柳正規『ローマ帝国』
2004 岩波ジュニア新書