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西ローマ帝国

395年の分裂以後、イタリア半島を中心に統治したローマ帝国の後継国家。

幼帝ホノリウスが継承し、都はローマだが、すぐにミラノに移る。補佐するスティリコ将軍は忠誠心と賢明さで有名でヴァンダル族出身のゲルマン人であった。403年、ゲルマン人の攻撃を受けやすいミラノを捨て、首都を沼地に囲まれた一寒村であったラヴェンナに移す。彼はまず東ゴートの侵入、次の西ゴートのアラリックの侵攻から西ローマを守ったが、讒言によりラヴェンナで処刑される。410年再びアラリックが侵攻、ローマは掠奪にまかされるが、皇帝はラヴェンナにこもり抵抗できなかった。さらに属州アフリカをヴァンダルに奪われ、451,2年には北方からのフン族アッティラ大王の侵入を受ける。その後領土をゲルマン諸部族に奪われて縮小する中、皇帝位も不安定となり、軍の実力者が自分の子ロムスル=アウグストゥスをたてた。そのような状況の中でゲルマン人傭兵隊長のオドアケルが叛乱を起こし、476年皇帝を追放し、西ローマ帝国は滅亡した。オドアケルは廃位した皇帝を年金を与えてナポリに幽閉、東ローマ帝国皇帝ゼノンに帝国の旗章を返送し、自分は東ローマ皇帝の代官としてイタリア統治にあたると宣言した。 → 西ローマ帝国の滅亡

Episode ラヴェンナの女帝 ガラ=プラキディア

 410年の西ゴートのローマ侵攻からアッティラ大王のローマ侵攻までのあいだの40年間、西ローマ帝国は比較的安定していた。その間、西ローマ帝国の実権を握っていたのは、ガラ=プラキディアという女性だった。彼女は、テオドシウス帝の娘であったが、410年ローマが西ゴートの手に落ちたとき、その捕虜となった。そこで西ゴート王アラリックの子のアタウルフと愛し合い、蛮族の王子とローマ皇帝の娘の結婚ということとなった。しかし、アタウルフは他の王子にねたまれて暗殺されてしまう。ガラ=プラキディアはその後、何度かの結婚を経て、425年西ローマ皇帝となり、ラヴェンナで政治を執ることとなる。実質的な最後の西ローマ皇帝である。しかし頼るもののない彼女は、ローマに移り、教皇レオ11世を頼り、450年、波乱の生涯を閉じる。彼女の墓は現在、ラヴェンナのサン=ヴィターレ聖堂の近くにあり、美しいモザイクで飾られている。和辻哲郎もここを訪れ「外観がいかにもみすぼらしい煉瓦建てで、・・・中にはいって見てあっと驚いた」と言っている。<和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』岩波文庫。ガラ=プラキディアの話は、藤沢道郎『物語イタリアの歴史』中公新書による>
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第1章3節 カ.西ローマ帝国の滅亡