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西ゴート人/西ゴート王国

ゲルマン人。375年に移動を開始、イベリア半島に王国を建設。

ゲルマン人の一派で、ビシゴートともいう。東ゴート人がフン人に征服されたのを知った西ゴート人は、フン人を避けて、375年大挙してドナウ川を渡り(3万5千から4万と言われる。西ゴート人が、ミナゴーと移動を開始したわけです)、ローマ帝国領に移動し、その保護を求めた。これがゲルマン人の大移動のはじまりとなった。ローマは西ゴートの移住を認めたが、官吏による搾取と飢餓に苦しめられた西ゴート人は、378年、アドリアノープル(ハドリアノポリス)でローマ軍と戦った。ローマ側は皇帝ヴァレンスが戦死して大敗(アドリアノープルの戦い)し、382年改めて同盟関係を結んだ。このようなローマ軍の弱体化を見た他のゲルマン諸部族は、その後相次いでローマ領内に乱入してくることとなる。

アリウス派の信仰

 キリスト教アリウス派ニケーア宗教会議で異端とされ、ローマ領内での布教が出来なくなった。4世紀の中ごろ、西ゴート人のウルフィラという人がコンスタンティノープルでアリウス派に改宗し、聖書のゴート語訳をつくってゴート人に布教したことから西ゴート人に信仰が広がった。ゲルマン人の土俗的信仰と結びついて西ゴート人に近い東ゲルマン系の間に広がった。

西ゴート王国 418年~713年

ローマの東西分裂後、西ゴート人はアラリックに率いられて、西ローマ領内に侵攻、410年にはローマを占領し、3日間にわたって掠奪した。アラリックの死後、西進をつづけ、南ガリアを支配し、さらに415年にイベリア半島(イスパニア)に入り、ヴァンダル人を追い出して、418年にガリア南部とイベリア半島を支配して西ゴート王国を建国した。なお、ビシゴート王国という言い方もある。451年には、西ローマと協力してアッティラの侵入をカタラウヌムの戦いで撃退した。しかし、5世紀の終わりにはガリアをフランク人のクローヴィスに奪われ、領土はイベリア半島だけとなり、507年以降、都をトレドに定めた。

イスラーム勢力によって滅ぼされる

7世紀にアラビア半島に起こったイスラーム勢力は急速に北アフリカのマグリブ地方を征服し、ついに711年、アジブラルタルを超えてイベリア半島に侵攻した。このイスラームの侵入を抑えることが出来ず、西ゴート王国は713年に滅ぼされた。その都であったトレドはイスラーム圏に入ったが、中世を通じてキリスト教世界からも学者が訪れ、イスラーム文化への窓口となり、多くの学者が学ぶ文化都市として発展する。
※「ゴート」とから「ゴシック式」や「ゴシック書体」という言葉が生まれたことは東ゴート人の項を参照。
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第6章1節 ア.ヨーロッパの風土と人びと