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ミラノ/ミラノ公国

北イタリアの主要都市。中世には都市国家ミラノ公国となり、ルネサンスの中心地の一つとなる。現在はイタリア最大の工業都市として繁栄している。

 北イタリア・ロンバルディア地方の中心都市。古代ローマ時代はメディオラヌムと言い、西ローマ帝国では一時、首都となった。早くから毛織物産地として都市国家を形成し、中世ではミラノ公国として繁栄した。ルネサンス時代には文化の中心の一つとなったが、イタリア戦争でフランス軍の侵攻を受けた。16世紀中期からはスペイン、次いでオーストリアのハプスブルク家の支配を受けたが、イタリア統一戦争の結果、サルデーニャに併合された。その後も北イタリア最大の工業都市としてイタリア経済を牽引している。さらにファッションの中心地としても世界的によく知られている重要都市である。

ローマ時代のミラノ

 ローマ時代にはガリアに属し、属州ガリア=キサルピナの州都メディオラヌムといった。313年にはこの地でコンスタンティヌス大帝がミラノ勅令を出し、ミラノ司教アンブロシウス(アウグスティヌスの師)がテオドシウス帝に影響を与え、392年のキリスト教の国教化に大きな役割を果たした。西ローマ帝国ではその首都となったが、帝国滅亡後はゲルマン諸族の支配を受けた。

都市共和国ミラノ

 11世紀ごろから毛織物や武器の生産が発展し、北イタリアの中心的な都市共和国(コムーネ)として栄えた。北イタリアの支配をねらう神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世によって1162年に破壊されたが、後にロンバルディア同盟の支援で復興した。その後ミラノは、ロンバルディア同盟の中心都市として重要な役割を果たした。

ミラノ公国

 都市共和国ミラノは北イタリアの要衝にあったので、都市同盟の中心として神聖ローマ皇帝とも争ったが、しだいに都市の有力者が都市貴族として寡頭支配を行うようになった。14世紀の初めごろ都市貴族のヴィスコンティ家が権力を握り、そのジャンガレアッツォが神聖ローマ皇帝からミラノ公の地位を買収してミラノ公国となった。ヴィスコンティ家のミラノ公国は一時ロンバルディアから中部イタリアまで支配する大勢力となったが、1447年傭兵隊長であったスフォルツァ家が権力を奪取した。特に、ロドヴィコ=スフォルツァ(あだ名はイル=モーロ)は多くの学者や芸術家を保護し、ミラノはフィレンツェと並ぶルネサンスの一つの中心地としても重要であった。特に、1482~1500年頃の間は、レオナルド=ダ=ヴィンチが滞在し、有名な『最後の晩餐』もミラノの聖マリア=デッレ=グラツィエ聖堂の食堂の壁画としてであった。

イタリア戦争

 イタリア戦争の過程で、1499年、フランス王ルイ12世がミラノ公国の継承権を主張して介入し、ロドヴィコ=イル=モロ(スフォルツァ家)はミラノを脱出、1508年に亡命先で死去した。しかし、1512年にはルイ12世はラヴェンナの戦いで教皇ユリウス2世の神聖同盟軍との戦って敗れ、北イタリアの領土を失い、ミラノは主権を回復した。その後もイタリアを巡るフランス王フランソワ1世と、神聖ローマ皇帝(兼スペイン王)のカール5世との対立である狭い意味のイタリア戦争は激しさを増した。

スペイン・オーストリアの支配

 1535年、ミラノ公の死去により神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)が継承し、スペイン領となった。長くスペイン領として続いたが、1701年から始まったスペイン継承戦争の時、1707年からオーストリアが支配し、戦後のラシュタット条約で正式にオーストリア=ハプスブルク家の領地として認められた。

イタリア統一運動でのミラノ

 このように、外国支配が長く続き、ナポレオンのイタリア遠征の後には、彼がつくったチザルピナ共和国の首都となった。ナポレオン没落後、ウィーン会議の結果として、ミラノを中心とするロンバルディアはオーストリア領に戻ったが、1848年には反オーストリアの“ミラノの5日間”と言われるミラノ蜂起が起こった。このときはミラノを支援したサルデーニャ王国がオーストリアに敗れたため、蜂起は失敗した。
 その後、イタリアの統一運動の中心となったサルデーニャ王国が、首相カブールの指導によって1859年にイタリア統一戦争でオーストリアに勝利し、ミラノを含むロンバルディアはサルデーニャ王国に併合された。

Episode ヴィスコンティ伯爵家出身の映画作家

 イタリアの映画監督ルキノ=ヴィスコンティは、ミラノ公の血筋をひく、ヴィスコンティ伯爵家の出身である。ヴィスコンティ家は、スフォルツァ家によってミラノの実権を奪われた後も、その家系を絶やさず現代まで続いている。ルキノ=ヴィスコンティは、最初にミラノ公となったジャン=ガレアッツォの直系ではないらしいが、名門貴族の出であることはその作風の背景になっている。1943年に『郵便配達は二度ベルを鳴らす』でデビュし、ロベルト=ロッセリーニやヴィットリオ=デシーカらとともに戦後の映画に衝撃を与えたイタリア・ネオレアリズモの代表的な作家となった。そのころは共産党員であったらしい。次第に、歴史的な題材をもとに没落していく貴族の退廃的な生活を描く作風となり、その作品はしばしば映画賞が授与されている。『山猫』は特にイタリア統一戦争と没落するシチリアの貴族を描き、必見であろう。他に、ヴェネツィアでの美少年との邂逅に悩む音楽家を描いた『ベニスに死す』、バイエルン国王の狂気を描いた『ルートヴィヒ』、兄弟の確執を描いたアラン=ドロン主演の『若者のすべて』などなど、映像美を堪能させてくれる。貴族の血筋なんていうものは信じたくはないな、この人ならではの作品群であることには間違いない。