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知恵の館

バグダードに作られたギリシア語とアラビア語の翻訳機関。

 アッバース朝の都、バグダードに作られたギリシア語文献のアラビア語への翻訳を大規模に行った研究所で、イスラームの「外来の学問」の研究の中心となった機関である。
 8世紀後半のアッバース朝全盛期のカリフ、ハールーン=アッラシードは、エジプトのアレキサンドリアのムセイオンの大図書館に伝えられていたギリシア語文献を中心とする資料をバグダードに移し、「知恵の宝庫」と名づけた図書館を建設した。その息子マームーンはそれを拡充し、「知恵の館(バイト=アルヒクマ)」と改め、ギリシア語文献の組織的な翻訳を開始した。主任翻訳官はフナイン=ブン=イスハークは、ギリシア語、シリア語、アラビア語に堪能なネストリウス派キリスト教徒で、彼は同派の学者を招き、エウクレイデスの数学書、ヒポクラテスガレノスの医学書、プラトンアリストテレスの哲学書、さらにギリシア語の旧約聖書などを次々と翻訳した。この「知恵の館」から、イブン=シーナーフワーリズミーなどが輩出した。<佐藤次高『イスラーム世界の興隆』世界の歴史8 中央公論社 1997 p.165 などによる>

ギリシア文化とイスラーム文化

 古典古代のギリシアの学問は、ヘレニズム時代を経て、イスラーム世界に伝えられ、8~9世紀にアッバース朝の都バグダードの「知恵の館」で組織的にギリシア語からアラビア語への翻訳が行われた。その間、ヨーロッパ中世社会ではギリシア文化と科学、哲学などの学問は忘れ去られていた。イスラーム世界と接するイベリア半島や南イタリアで、イスラーム教徒からすぐれた技術に刺激されたヨーロッパのキリスト教徒は、12~13世紀にトレド翻訳学校などで盛んにアラビア語訳のギリシア文献を、ラテン語訳することが行われるようになった。このように、古代ギリシア文化が中世ヨーロッパに知られたのは、イスラーム世界を経てのことであったことは重要である。 → 中世ヨーロッパとイスラーム文化  12世紀ルネサンス
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ノートの参照
第5章4節 ウ.学問と文化活動
書籍案内

佐藤次高『イスラーム世界の興隆』世界の歴史8
中央公論社 1997