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フリードリヒ1世

12世紀のシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝。第3回十字軍に参加。赤髭王と言われた。

 シュタウフェン朝神聖ローマ皇帝皇帝。在位1152~1190年。赤髭王(バルバロッサ)というあだ名がある。中世で最も有名な皇帝の一人。ドイツ王としてオーストリア、ブルグンドなどに領土を拡大するとともに、神聖ローマ皇帝としてイタリアの支配を目指し、1158~78年にかけて4回にわたってイタリア遠征を行った。しかしローマ教皇と、ロンバルディア同盟を結成した北イタリアの都市の抵抗を受け、76年のレニャーノの戦いでは敗北し、後に和解し、コムーネの自治を正式に承認した。長子ハインリッヒ6世をシチリア女王と結婚させてその相続権を得る。第3回十字軍に参加し、小アジアで事故死した。シュタウフェン朝全盛期のフリードリヒ2世は孫にあたる。

Episode 赤髭王の死因

(引用)1187年の十字軍の主役の一人ドイツの「赤ひげ帝」フリードリッヒ1世は、遠征の途中、小アジアの東南岸セレウキアで水死した。事故の原因は今日では詳かにされていない。皇帝が小アジアの戦塵を洗い流すため水浴をして年齢(67歳)のせいでショック死したとか、馬上で川に乗り入れ馬がつまづいて水中に投げ出されて甲胄の重みで水底に沈んだとか、諸説紛々としている。イスラム側にとっては最高の喜びとなる奇跡であり、イスラム側の歴史家はからかい半分の調子で「王は川におりて水浴びをし、腰のあたりまでしかない水におぼれて死んだ」(アル=アティル)と書いている。随行した王子のフリードリッヒがただちに王位を継いで意気阻喪した軍勢を掌握しようとしたが、アンチオキアまで来てみると総兵力は半数以下の4万になっていた。 <橋口倫介『十字軍』岩波新書  p.158>