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北元

明に大都を負われた後、モンゴル高原に退いたモンゴル人の国家。

 1368年、大都を放棄し、ついで上都も軍に追われたの順帝(トゴン=テムル)は、モンゴル高原に退いた。その後、モンゴル人勢力は「北元」を称し、カラコルムを都に三代約20年存続する。しかし、1388年、洪武帝の明軍の討伐を受けて滅亡した。しかし、モンゴル高原にはその後もモンゴル民族の遊牧社会は継続した。この間はモンゴル高原東部にはチンギス=ハン一族のモンゴル(明や清は「韃靼」と漢字表記した、いわゆるタタール部)、西部にモンゴル民族の一部族であるオイラト部(漢字では「瓦刺)の二つの勢力が抗争し、時として南下して長城を越え、明との攻防を展開する。モンゴル民族は1634年に清に服属する。1368年の元の滅亡から、1634年までを「北元時代」ととらえる見方もある。<宮脇淳子『最後の遊牧帝国』講談社選書メチエ 1996>