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パリ条約(1763)

1763年に締結された七年戦争及びフレンチ=インディアン戦争その他の英仏植民地抗争の講和条約。イギリスが多くの海外領土を獲得し、植民地帝国を形成することとなった。

1763年締結の七年戦争の時のアメリカ大陸での植民地戦争であったフレンチ=インディアン戦争、およびインドにおけるプラッシーの戦いカーナティック戦争に関わる講和条約。イギリス、フランス、スペインの三国間で締結された。
(1)イギリスはフランスからカナダとミシシッピ以東のルイジアナを獲得。
(2)イギリスはスペインからフロリダを獲得。
(3)スペインはフランスからミシシッピ以西のルイジアナを獲得。
(4)インドでは、フランスはシャンデルナゴール・ポンディシェリ以外の全ての地域でイギリスの優越権を認める。
(5)そのほか、イギリスは地中海のミノルカ島、アフリカのセネガル、西インドのトバゴをフランスから獲得など。

パリ条約の意義

 七年戦争・フレンチ=インディアン戦争・プラッシーの戦い・カーナティック戦争、それぞれの戦いでの勝利の結果として締結されたパリ条約によって、イギリスのアメリカ大陸とインドにおける優位が確定し、植民地帝国(第一帝国)の基礎を築いた。それに対してフランスは、北アメリカ大陸の植民地を全てとインドでのほとんどの領地を失い、植民地国家としての後退が決定的となった。

イギリス第一帝国の完成

 フレンチ=インディアン戦争の講和条約であるパリ条約によって、イギリスが最も広大な海外植民地を獲得することとになり、それによってイギリスは17世紀からの海外発展が大きくすすんで、第一帝国が完成したと言うことが出来る。この間、1760年代のイギリスは産業革命を他に先駆けて展開し、工業化を進めて「世界の工場」と言われるようになる。しかし、植民地戦争の負債は食味地に負担させようという本国政府の考えから、植民地アメリカに対する課税が強化されると、それに反発するアメリカ植民地の独立運動が起こり、20年後の1783年にはアメリカ独立戦争の講和条約パリ条約が締結され、イギリスはアメリカ合衆国の独立を認めて広大な北米大陸の植民地を失い(カナダは残ったが)、第一帝国は終わりを告げる。

フランスの「最もみじめな条約」

 1763年のパリ条約は、フランス史の中でも「最もみじめな条約」と言われている。ルイ15世は、先代のルイ14世が築いたヨーロッパの最強国というイメージを失うことになったが、戦争遂行のためにふくれあがった借財だけが残された。次のルイ16世にとって、アメリカ独立戦争が起こったことは、イギリスに対する復讐の機会が早くも巡ってきたと受け取られた。初めは躊躇していたが、独立側が優勢であることを確かめてフランスは参戦に踏み切った。しかし、この参戦はフランス財政の危機を決定的なものとしてしまい、その危機への対応のまずさからフランス革命が勃発する。
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ノートの参照
9章2節 イ.アメリカにおける殖民地争奪