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コルシカ島

地中海の島。ローマの属領、ジェノヴァ領などを経てフランス領となり、1769年にナポレオンが生まれる。

 コルシカ島 corcica(フランス語では corse)は、地中海に浮かぶ島の一つで、フランスに最も近い。古代にはフェニキア人、ギリシア人が渡来し、交易が行われていたが、カルタゴの勢力圏となった。ポエニ戦争でローマの支配が及び、シチリア島、サルデーニャ島に続き紀元前231年に属州となった。5世紀の民族移動期にはヴァンダル人に征服され、その後は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)、ランゴバルトと支配者が代わった。9世紀にはイスラーム勢力が侵攻し、11世紀までその支配を受けた。14世紀半ばからジェノヴァ共和国の領土となったが、1729年からたびたび分離独立を目指す反乱が起こった。

コルシカ独立運動

   パスカル=パオリに率いられた独立運動は1755年には島の行政権を獲得するなど力をつけ、ジェノヴァは対応に困り、1768年、ルイ15世のフランスに割譲してしまった。フランスは軍隊を派遣してパオリの独立運動を弾圧、パオリはイギリスに亡命した。これはヨーロッパ中の関心と同情を集めた。フランスは住民の反抗を抑えるため、養蚕業を奨励したので桑の栽培などの農園がひろがった。その後、フランス革命の混乱に乗じて、パオリはイギリス海軍の支援を受けてコルシカ島にもどり、独立の気運が再び高まったが、イギリスは独立を認めず、結局1794年2月から96年11月まで保護領として支配した。パオリは失意のうちに1807年にロンドンで死んだ。

ナポレオンの故郷

 ナポレオンのボナパルト家は、北イタリアから16世紀初めにコルシカに移住して地主となった家で、そのカルロは農園を経営してフランス王に協力したことによって貴族の称号を与えられていた。1769年8月15日、ナポレオンはカルロ=ボナパルトの子としてにコルシカの中心都市アジャクシオで生まれた。1779年、10歳のナポレオン少年は家族と共にコルシカを離れ、ブーリエンヌ陸軍幼年学校に入学した。ナポレオンはコルシカがフランス領に戻ってから、1799年に3日間だけ滞在しただけで、その後は足を向けることはなかった。
 コルシカ島に広がっている灌木の密林をマキといい、そこに盗賊が逃げ込むと逮捕は不可能になると言われていた。そこから、第二次世界大戦中にナチス・ドイツとヴィシー政権に対するレジスタンス運動を続けた人たちを「マキ」と言った。
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ノートの参照
第11章3節 エ.皇帝ナポレオンの誕生