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サルデーニャ島

地中海の中央部に位置する島で、ローマ、ビザンツ帝国、イスラーム勢力など支配が交替。アラゴン王国・スペイン王国の支配に次いでオーストリア領となったあと、サヴォイア家が統治するサルデーニヤ王国となる。の一部となり現在はイタリア領。

 地中海世界の西部、コルシカ島の南に位置するサルデーニャ島は地中海世界シチリア島に次ぐ第2の大きさの島。フェニキア人やギリシア人の進出が続き、前540年からはカルタゴ領となった。ついでローマの勢力が及び、ポエニ戦争の結果、前238年にローマ領となり、その属州として支配されることになった。

イスラーム勢力の進出

 ローマ帝国衰退後はヴァンダルや東ゴートの侵攻を受け、6世紀にはビザンツ帝国領となったが、7世紀ににアラビア半島に登場したイスラーム教勢力は、ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルを脅かしながら北アフリカに進出し、ウマイヤ朝は早くも711年にウマイヤ朝はイベリア半島に侵入して西ゴート王国を滅ぼした。さらに827年にはアッバース朝の宗主権下にあったチュニジアのアグラブ朝シチリア島に侵入した。サルデーニャ島はその占領は免れたが、ビザンツの勢力は後退し、代わってイタリアの都市共和国ピサやジェノヴァ、スペインのアラゴン王国などが進出した。11世紀初めにはイスラーム勢力を撃退したピサ市がサルデーニャを支配することとなった、ついでジェノヴァもこの島の支配を目指し、その他の地中海周辺の諸勢力も加えて、この島を巡る抗争が続いた。

アラゴンとスペインの支配

 14世紀以降はスペインのアラゴン王国が支配し、その後アラゴンとカステーリャが合同してスペイン王国が成立するとその領土となった。1571年のレパントの海戦でスペインなどキリスト教国の連合海軍がはじめてオスマン海軍を破ったが、サルデーニャ島の水夫が活躍した。
 1701年にスペイン継承戦争が起こって、14年までにフランス・スペインが敗れたため、フランスとオーストリア間のラシュタット条約でサルデーニャはオーストリア=ハプスブルク家が領有することとなった。

サルデーニャ王国の成立

 1720年、北イタリアのサヴォイア公国は当時支配していたシチリア島(1713年のユトレヒト条約で獲得)と交換でサルデーニャを手に入れ、サルデーニャ王位を認められた。こうして北イタリアのフランスに接しているピエモンテ地方とサルデーニャ島を支配するサルデーニャ王国(都は本土のトリノ)が成立した。サルデーニャ王のヴィットーリオ=エマヌエーレ2世は、イタリアの統一を進め、1861年にイタリア王国を成立させた。
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ノートの参照
1章2節 ア.地中海世界