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イタリアの反乱

1831年、オーストリア支配下のイタリアで起こった独立をめざす反乱。オーストリア軍に鎮圧された。

 フランスの七月革命の影響を受けてイタリアで起こったオーストリアからの独立と自由を求める民衆蜂起。パリに亡命していた自由主義者ブォナローティらが指導し、中部イタリアのモデナ、パルマ、ボローニャで1831年2月に勃発し、ボローニャには一時臨時政府が成立した。反乱側はフランスの七月王政政権の支援を期待したがその介入もなく、また各都市間の連携もなかったので、3月末にはオーストリア軍の出動によって鎮圧された。カルボナリの蜂起に続いてイタリアの統一と独立を目指す運動が挫折したことを反省したマッツィーニらは、同年末に亡命先のマルセイユで、より明確な方針を掲げた組織として「青年イタリア」を結成する。

イタリアのナショナリズム

 七月革命の影響は、イタリアの反乱だけではなく、ウィーン体制下のヨーロッパ各地に及んでいった。同じようにオーストリアの支配に対してポーランドの反乱が起こり、ドイツ各地でもドイツの統一と憲法の制定を求めてドイツの反乱が起こっている。これらはいずれもウィーン体制の反動政治に対する、自由主義ナショナリズムの運動の高揚をしめす出来事であった。
 1831年のイタリアの反乱は鎮圧されたが、マッツィーニらが結成した青年イタリアはイタリア統一(リソルジメント)運動の中心的な力となってゆき、1860年の統一実現に向かっていく。
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ノートの参照
第12章1節 ウ.七月革命とイギリスの諸改革