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ワラキア

ルーマニア南部のラテン系民族居住地にあった公国。現在のルーマニアの一部。

ワラキアは現在のルーマニア南部、トランスシルヴァニア山脈とドナウ川にはさまれた盆地。ローマ時代には属州ダキアの一部となり、先住民とローマ人の混血が進みラテン系言語社会が形成された。中世ではハンガリーの支配を受けていたが、1330年にわらキア公国が自立。しかし、15世紀以降はオスマン帝国のバルカン進出によってその宗主権の下に入った。16世紀末には一時自立して、北のモルダヴィアとトランシルヴァニアを合わせて支配した時期もある。19世紀にはいるとロシアの南下政策による侵略を受け、1829年からその支配を受ける。1848年の「諸国民の春」といわれた民族蜂起の時にワラキアも民族運動が起こり、次第にロシアからの自立とモルダヴィアとの統一を要求するようになった。1853年に始まったクリミア戦争はその好機となり、ロシアが敗北した結果、1856年に締結されたパリ条約によってモルダヴィアと共に自治が認められ、さらに59年に両国は統一し、66年に国号をルーマニア公国とした。 → 現在のルーマニア 
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ノートの参照
第12章2節 ア.東方問題とクリミア戦争