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ベルリン条約

1878年、東方問題に関するベルリン会議でビスマルクの調停によって成立した条約。バルカン半島でのロシアの侵出を抑え、イギリス・オーストリアに有利な調停となった。

 1878年のベルリン会議の結果、「東方問題」の最終的な解決として、ドイツ帝国のビスマルクの調停によって成立した条約。これによって露土戦争の結果としてロシアがサン=ステファノ条約で獲得した領土は大幅に削減された。
主な内容は、
ルーマニアセルビアモンテネグロの三国の独立とそれぞれの領土拡張。
ブルガリアは領土を3分の1に縮小され、オスマン帝国を宗主国とする自治国とする。
・ロシアは、コーカサス山脈以南の諸都市をトルコから、ベッサラビアをルーマニアから獲得。
・オーストリアは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの統治権を獲得。
・イギリスは、オスマン帝国からキプロス島の統治権を認められる。
・フランスのチュニス進出の承認。(いつチュニスを占領してもいいということで、フランスは1881年に実行する。)

ベルリン条約の意義とその後

 露土戦争で頂点に達したロシアの南下政策はいったん抑えられ、オスマン帝国領でのバルカン諸国の独立、イギリスとオーストリアにとって有利な領土調停が成立した。ヨーロッパの勢力バランスの維持を図るビスマルク外交の典型であった。
 しかしこの結果、ドイツとロシアの関係は次第に悪化し、ロシアはフランスに接近する。危険を感じたビスマルクは、1882年に三国同盟でオーストリア、イタリアと手を結び、さらにロシアに働きかけ、1887年に独露再保障条約を締結することとなる。
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ノートの参照
第12章2節 キ.ドイツ帝国とビスマルク外交