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ローマ共和国

1849年1月に、中部イタリアのローマ教会領に成立した共和制国家。

ウィーン体制下のイタリアは北部をオーストリアに支配され、その他の地域も分裂状態であったが、次第に自由と国民的統一を求めるナショナリズムが起こってきた。イタリア統一を目指す動きは、一連の「1848年革命」の中でイタリアでも市民の自由と独立、統一を求めるマッツィーニ青年イタリアの運動が展開され、ローマでは教皇ピウス9世がナポリに亡命、共和派が実権を握った。1月には男子普通選挙が行われて議会が発足、2月9日に「ローマ共和国」の成立を宣言した。マッツィーニは三人の執政の一人となり、議会は教皇の世俗権を無効とし、聖職者財産の国有化、司法・教育制度の改革、出版の自由、税制改革など次々と打ち出した。

フランスの干渉で崩壊

 しかし、フランスで大統領に当選したばかりのルイ=ナポレオンは、ローマ教皇を復帰させることを名分とし、実はイタリアの混乱に乗じてオーストリアが侵出するのを恐れ、先手を打って軍隊をローマに派遣したのだった。6月~7月、フランス軍とガリバルディらが指導するローマ共和国軍の戦闘となり、ローマは敗れ共和国は崩壊した。一方、サルデーニャやトスカーナはオーストリア軍に制圧され、シチリアはナポリ王国が島民の反乱を制圧した。さらにヴェネツィアも8月下旬にオーストリアに降伏して、イタリアの独立と統一は再び抑えつけられることとなった。 
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ノートの参照
第12章2節 オ.イタリアの統一