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ベッサラビア

黒海に面し、ドニェストル川・ドナウ川・プルート川に挟まれた一帯で、ロシア・オスマン帝国・ルーマニアなどの係争地だった。1940年6月、ソ連がドイツとの秘密協定に基づきルーマニアに割譲させ併合した。現在はモルドバ共和国(内陸)とウクライナ共和国(黒海沿岸)にまたがる。

ベッサラビア地図

ベッサラビアのおよその位置
赤い色は現在の国名・国境 YahooMap で作成

 ベッサラビア Bessarabia は黒海、ドニェストル川とドナウ川およびその支流プルート川にはさまれた地域。現在のほぼモルドバ共和国にあたり、一部はウクライナに属している。古来、ロシア人とモルドバ人、さらにオスマン帝国以来のトルコ系住民が混在し、領土的な紛争が絶えなかった。中世ではモルドバ公国領であったが1453年以降はオスマン帝国の宗主権のもとにおかれ、1812年の露土戦争でロシアが獲得した。ナポレオン戦争後のウィーン会議1815年に締結されたウィーン議定書でロシア領であることが認められた。

ロシアとルーマニア間での変更

 その後も領土変更が絶えず、ロシアのクリミア戦争での敗北により、1856年のパリ条約で南部はモルダヴィア(1866年からのルーマニア)に割譲され、1877年の露土戦争では再びロシア領となった。
 ロシア革命が起きるとルーマニアが併合を宣言、それを認めないソ連は併合の機会を狙い、1939年、スターリンはヒトラーとの独ソ不可侵条約に付帯する秘密協定でその併合をドイツに認めさせた。
 第二次世界大戦勃発後の1940年6月、ソ連がルーマニアに北ブコヴィナ(プルート川上流域)とともにベッサラビアの併合を認めさせ、1947年2月の第二次世界大戦後のパリ講和会議でルーマニアから正式にソ連に割譲された。
 この地はモルダヴィア=ソヴィエト社会主義共和国としてソ連邦に加わり、ドナウ河口一帯はウクライナに属することとなった。ソ連邦崩壊後は1991年にモルドバ共和国となって分離独立した。モルドバ共和国は現在もドニェストル沿岸のロシア人居住地の問題を抱えている。
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