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イエメン

1918年、アラビア半島南西端に王国として独立。アラブ連盟に参加。62年に王政倒れイエメン=アラブ共和国(北イエメン)となる。南イエメンと1990年に合同した。

 アラビア半島の南西端にあり、紅海とインド洋を結ぶ位置を抑える交通の要衝であったので、早くから香料貿易などで栄えた。旧約聖書にはヘブライ王国のソロモン王に黄金や香料、宝石を贈ったというシヴァの女王はこの辺りを支配したと伝えられている。また1世紀にはこの地の中心の港市であるアデンはローマとインドを結ぶインド洋交易圏での季節風貿易の中継地として繁栄していたことが『エリュトゥラー海案内記』に現れている。それ以来、この地はギリシア人やローマ人は「幸福なアラビア」と呼んだ。19世紀以降の発掘でシヴァ王国(サバ王国とも表記)の跡と思われる遺跡が発掘されている。6世紀にササン朝ペルシアのホスロー1世の支配を受けた後、7世紀にはイスラーム化した。

イエメン王国の独立

 16世紀にはオスマン帝国の支配を受けるようになったが、1837年にはインド洋に面したアデンがイギリスに占領され、南イエメンはイギリスの保護国となった。北イエメンではシーア派のザイド派が台頭し、第一次世界大戦でオスマン帝国が弱体化した際、1918年に独立してイエメン王国となった。第二次世界大戦末の1945年3月に結成されたアラブ連盟に加盟した。

イエメン=アラブ共和国

 その後王政が続いたが、1962年9月にサッラール大佐によるクーデターが起こり、国王は追放され共和政のイエメン=アラブ共和国となった。なお、現在のイエメンはこのイエメン王国の後身であるイエメン=アラブ共和国(北イエメンとも言う)と、その南に位置するイギリスの保護下にあった南イエメンが独立し、ソ連よりの共産政権であったイエメン人民民主共和国(南イエメンともいう)が、1990年に合体した国である。 → 現在のイエメン共和国 

イエメン共和国

1990年、南北イエメンが合体し統一を回復した。しかし、94年に再び内戦になる。

 イエメン王国(北イエメン)は1962年に共和派がクーデターを起こして王政が廃止され、イエメン=アラブ共和国となった。しかし、サウジアラビアの支援を受けた王政派と、アラブ連合共和国の支援を受けた共和国軍による内戦が続いた。1967年には共和派政権がクーデターで倒されるなど政情不安が続いた。その南のイギリスの保護下にあった南イエメンが同年1967年に独立してイエメン人民共和国が成立、さらにソ連よりの共産政権によって1970年にイエメン人民民主共和国と改称した。
 この南イエメンはアラブ世界唯一の社会主義国家であったが、経済が破綻し停滞した。その結果、1990年に南北イエメンが合体し、イエメン共和国となった。1839年のイギリスの南イエメン占領以来分断されたイエメンがようやく統一を回復したが、1994年には南イエメンが再独立をとなえて内戦が勃発し、同年中に北イエメンの勝利となって停戦が成立した。イエメン共和国は、サウジアラビア王国アラブ首長国連邦などのアラビア半島諸国が王政や首長制であるのに対して、半島内の唯一の共和国として、民主化を進めている。
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ノートの参照
第16章1節 エ.南アジア・アラブ世界の自立