ラッセル
イギリスの哲学者で第一次、第二次大戦の前後で戦争反対を強く訴えた。1955年にラッセル=アインシュタイン宣言で核廃絶を訴えた。。

Bertrand Russell
1872-1970
第一次世界大戦での反戦運動
第一次世界大戦進行中の1916年1月、イギリスでは兵役法が成立し、3月から徴兵制度の運用が始まった。それに対してラッセルは、良心的兵役拒否を訴えるパンフレットを出版したため逮捕され、6月5日に法廷で罰金刑に処せられた。その後、ラッセルは勤務先のケンブリッジ大学を追われ、さらに外交方針に介入したという根拠薄弱な罪で1918年に半年間入獄する。なお、ラッセルが罰金刑を受けた6月5日にはラッセルが才能を見出した論理哲学者ルートヴィヒ=ヴィトゲンシュタインはオーストリア軍伍長代理としてロシア軍との東部戦線で戦っていた。<飯倉章『第一次世界大戦史』2016 中公新書 p.122>Episode 哲学者を挟んだ米ソ首脳との手紙の遣り取り
1962年の米ソによる核戦争が危ぶまれたキューバ危機に際しては、ラッセルはソ連のフルシチョフに書簡を送り平和的解決を訴えた。フルシチョフもラッセル宛の返事で米ソ首脳会談開催の提案とアメリカが海上封鎖をやめればソ連も「馬鹿なまねはしない」と応えた。ラッセルはその書簡を公開、それに対してアメリカ大統領ケネディもラッセルに書簡を送り、ソ連は「押し込み強盗だ」とやりかえした。このラッセルを介しての米ソ首脳の交渉が、危機打開に向けての「最初の朗報」となり、ソ連はキューバに向かわせた船舶を引き返させ、衝突は回避された。<Newsweek 別冊 『現代史の証言』1995 p.120>