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キッシンジャー

アメリカのニクソン、フォード政権の外交を担当。中国との関係を改善、1972年のニクソン訪中を実現させ、中東和平でもシャトル外交を繰り返し、活躍した。70年代末に現役から退いたが、その後もアメリカの外交と世界情勢に関わり続けた。

 1960年代後半~70年代前半のアメリカのニクソン政権・フォード政権で外交手腕を発揮した人物。ドイツにユダヤ系として生まれ、ナチス=ドイツ政権成立によって1938年、15歳でアメリカに亡命した。ハーバードに学び、戦後はアメリカ兵としてドイツに駐留した。復員後、政治学者となり、冷戦期の外交問題で鋭い分析を行って注目された。ジョンソン政権で国務省顧問となり、ニクソン政権では国家安全保障担当大統領補佐官となった。ベトナム戦争では積極的な侵攻策を立案するとともに、ひそかに終結の方向を探った。2023年11月29日、100歳で死去した。

ニクソン訪中を実現

キッシンジャーと周恩来 1971

握手するキッシンジャーと周恩来 1971/7/9

 世界を驚かせたのは、1972年のニクソンの訪中と訪ソを演出し米中関係の改善を実現したことで、その神出鬼没の活躍は「忍者外交」と言われた。ニクソン訪中はその前年の1971年7月に秘かに訪中し、周恩来らに打診して合意を取りつけ、1971年7月15日に、来年2月にアメリカ大統領ニクソンが訪中することを発表した。これは台湾・日本を初めとする関係諸地域・国にもいっさい知らされていなかったので、世界に大きな衝撃を与えた。特に日本では頭ごなしに米中が交渉を進めたことに強い不満が湧き上がったが、根回しなしの外交手段がむしろ効を奏したといえる。なお、ニクソンは8月15日には金・ドルの交換停止などのドル防衛策を発表、このドル=ショックとあわせてニクソン・ショックと言われた。
 ニクソンの訪中は1972年2月21日に予定どおり実行され、米中関係は劇的な転換を遂げた。ニクソン政権はベトナム戦争の収束をねらい、中国の毛沢東は米ソ対立でのソ連に対して優位に立つこと、さらに当時、林彪事件などで混迷を深めていたプロレタリア文化大革命の収束のためにもアメリカとの握手が必要と考えたものと思われる。

中東外交

 キッシンジャーは1973年には米中和解などの功績によってノーベル平和賞を受賞した。1973年から77年はフォード大統領のもとで国務長官を務めている。フォード政権ではデタントを推進する一方、73年の第4次中東戦争以後の中東情勢に対しても、頻繁に中東諸国を訪問してアラブ・イスラエル間の調停にあたり、「シャトル外交」と言われたが、基本的なイスラエル支持(キッシンジャー自身がユダヤ系であった)、ソ連の影響力の排除というアメリカの中東政策の枠組みから抜け出すことは出来なかった。
 また、アラブ諸国を牽制するためにイランと接近し、パフレヴィー王政との関係を強めたことは、79年にイラン革命を誘発する原因をつくった。ラテンアメリカでは73年のチリ軍部クーデターでピノチェトによるアジェンデ政権の転覆を支援した。国務長官退任後も影響力を保っており、2007年には核廃絶の訴えの呼びかけ人となるなど、活躍している。

キッシンジャー外交の特質

 キッシンジャーの外交理論は、もはや米ソの二極対立の時代は終わりソ連・欧州・日本・中国・アメリカの五大勢力が相互に均衡を保つことによって世界の安定を図る必要があるという、新しい勢力均衡論であった。これは従来の孤立主義か一国主義いずれかに傾きがちであったアメリカ外交の基本姿勢をあらため、ベトナム戦争後の70年代のデタント外交、多極外交にみられる現実主義とも言える新たな展開をもたらした。その思想的背景には、キッシンジャーがハーバードでウィーン体制時代のメッテルニヒ外交を研究していたことがあると言われている。しかし、その現実主義がデタントというソ連との妥協に走ったという批判が、若手から出てくるようになり、カーター時代の79年のソ連のアフガニスタン侵攻を機にそのような新保守主義(ネオコン)が台頭、レーガン政権下ではラムズフェルドやウォルフォヴィッツなどによってキッシンジャー路線は否定されることとなる。 → アメリカの外交政策 

NewS キッシンジャー、100歳で死去

 2023年11月29日、ヘンリー・キッシンジャーがアメリカ・コネチカット州の自宅で亡くなった。死因は公表されていないが、この年で100歳となる長寿だった。1970年代半ばに公職から退いていたが、その後何十年にもわたって、さまざまな世代の指導者たちから意見を求められ、影響力を持ち続けた。キッシンジャーが活躍したのは冷戦時代の後半だったが、2020年代にウクライナ戦争・ガザ戦争が起こり、再び緊張と不透明な時代が到来する中で、良きにつけ悪しきにつけ、キッシンジャーのような行動力を持った国際人が必要になっているとも感じられる。 → BBCニュース 2023/11/30

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