帝国都市/自由都市
中世ドイツにおいて、神聖ローマ皇帝に直属することによって封建領主の干渉を排除して自治権を獲得した都市。一定の市民には自由が認められたので、自由都市とも言われる。
中世ヨーロッパの都市は、さまざまな方法で自治権を獲得していったが、そのありかたは地域によって異なっていた。イタリアの北部に発達した自治都市(コムーネ)は最も自治権が強く、都市共和国として一個の独立国家(領域国家)と同じように諸外国とも外交関係を結ぶほどであった。それに対してアルプス以北のドイツの都市の自治権は異なった性格を持っていた。
帝国都市は形の上では皇帝に対し忠誠を誓い、軍役(皇帝のために軍事費を出す)と税を負担した。そのかわりとして市政・経済上の一定の自治と裁判権を認められ、神聖ローマ帝国の領邦とならんで帝国の身分制議会出席する権利を有した。ただし、帝国都市と言われた都市の中にも、納税や軍役の義務を免除されるた都市もあった。そのような都市を自由都市という場合もあるが、帝国都市と自由都市はほとんど同義であり、その区別は明確ではない。
代表的な帝国都市はハンブルク、ブレーメン、リューベック、フランクフルト、ニュルンベルク、アウクスブルク。このうち、リューベックは北ヨーロッパに広がっていた都市同盟のハンザ同盟の盟主となった。
中世ドイツの自治都市
中世ドイツの都市は、はじめは近傍の封建領主の支配を受けていたが、その支配から逃れるため、神聖ローマ皇帝に直属し、その直轄領となることで勅許状を得て自治を認めてもらうところが出てきた。そのような都市を帝国都市といい、自治都市の一般的な形態となっていった。帝国都市は自由都市とも言われ、一定の条件を満たす市民には自由が与えられ、ドイツのことわざで「都市の空気は自由にする」と言われた。帝国都市は形の上では皇帝に対し忠誠を誓い、軍役(皇帝のために軍事費を出す)と税を負担した。そのかわりとして市政・経済上の一定の自治と裁判権を認められ、神聖ローマ帝国の領邦とならんで帝国の身分制議会出席する権利を有した。ただし、帝国都市と言われた都市の中にも、納税や軍役の義務を免除されるた都市もあった。そのような都市を自由都市という場合もあるが、帝国都市と自由都市はほとんど同義であり、その区別は明確ではない。
代表的な帝国都市はハンブルク、ブレーメン、リューベック、フランクフルト、ニュルンベルク、アウクスブルク。このうち、リューベックは北ヨーロッパに広がっていた都市同盟のハンザ同盟の盟主となった。
帝国都市リューベックの例
12世紀にドイツ人の東方植民の過程で建設されたリューベックは、1158年に神聖ローマ皇帝(ドイツ王)フリードリヒ1世(バルバロッサ、赤鬚王)から特許状を与えられたという伝承があり、その特許状も現存するが、それには史料的に偽造の疑惑があり、確かめられるのは1226年にその孫のフリードリヒ2世(フェデリコ2世)によって与えられた特許状からである。その特許状には(引用)リューベク市は常に自由であり、特別の都市であって帝国の地であり、帝国の領域に直属し、永久にその帝国直属から分離されることはない。と記されている。<高橋理『ハンザ「同盟」の歴史』2013 創元社 p.81>