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フィリップ2世

12世紀末~13世紀初め、フランスのカペー朝の国王。イギリス王ジョンと争って領地を拡大、王権強化の基盤を作る。

 フランス王国のカペー朝の王。尊厳王(オーギュスト)と言われる。在位1180~1223年。それまで弱体だったカペー朝の王権を強大にする基礎を築いた。イギリス王リチャード1世とともに第3回十字軍に参加したが、いち早く帰国し、一転してイギリス領ノルマンディーに侵入してリチャードの英軍と戦った。

イギリスのジョン王との戦い

 リチャード1世の死後もフランス国内のイギリス領(プランタジネット家領)の奪取をめざし、リチャードの弟ジョン王が立つとそれを離婚問題で裁判にかけると挑発し、国王の裁判に出廷しないという封建義務の不履行を口実にノルマンディーアンジュー伯領などのジョンの知行地を奪った。
 怒ったジョン王が甥の神聖ローマ皇帝(ドイツ王)やフランドル伯とともにフランスに攻め入ると、1214年ブーヴィーヌの戦いで破り、この結果、フランス国内のイギリス領はギエンヌ地方のみとなった。

フランス統一王権形成の第一歩

 それまでのカペー朝のフランス王は、パリ周辺の直轄地を持つに過ぎず、その西部には広大なイングランド王国の所領が広がっていた。その他にもフランドル伯やブルゴーニュ公など有力な諸侯が名目的にはフランス王に臣従しながら、事実上は独立政権として存在していた。そのようななかで、フィリップ2世がジョン王からイギリス領を奪ったことは、フランス王によるフランス全土の支配という国家統一の第一歩となった。この勝利は、フランスが一つの国家になったことを意味するとしてフランスでは記憶されている。
 このようにフィリップ2世はカペー朝フランスの王権の基盤を作ったが、再婚問題からローマ教皇インノケンティウス3世に破門の脅しをかけられ、再婚をあきらめた(1213年)ことがあり、全盛期のローマ教皇には逆らえなかった。
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