イブン=マージド
1498年、ヴァスコ=ダ=ガマのインド航路航海を先導したイスラーム教徒の水先案内人。
大航海時代のポルトガルの航海者ヴァスコ=ダ=ガマが、アフリカ東岸のマリンディで雇ったイスラーム教徒の水先案内人。
ポルトガルが進出する以前のアラビア海を含むインド洋交易圏ではイスラーム教徒(ムスリム)のムスリム商人が盛んに交易活動を行っており、ガマ船団もイブン=マージドの水先案内によって、1498年にカリカットに到達し、インド航路の開拓ができたのであった。
その後、ポルトガルはインド洋の制海権をムスリム政権のマムルーク朝エジプトと争うこととなり、1509年のディウ沖の海戦でその勢力を排除する。
ポルトガルが進出する以前のアラビア海を含むインド洋交易圏ではイスラーム教徒(ムスリム)のムスリム商人が盛んに交易活動を行っており、ガマ船団もイブン=マージドの水先案内によって、1498年にカリカットに到達し、インド航路の開拓ができたのであった。
その後、ポルトガルはインド洋の制海権をムスリム政権のマムルーク朝エジプトと争うこととなり、1509年のディウ沖の海戦でその勢力を排除する。
アフリカ東海岸の学者
イブン=マージドは単なる船乗り、水先案内人ではなく、航海術に関する学者であったという説明もある。オマーン出身とも言われるイブン=マージドは、東アフリカには旅行者のための港がたくさんあり、それらの中で最も有名なものにモガジシオ(モガディシュ)、バラワ、モンバサ、キルワであり、そしてソファラの地があり、そこには金鉱山がると述べており、アフリカ東海岸に通暁していたようだ。もっとも、ヴァスコ=ダ=ガマが雇ったキリスト教徒の水先案内人とはイブン=マージドではない、という説もあると言う。<宮本正興+松田素二編『新書アフリカ史改訂版』2018 講談社現代新書 p.242-245,276>