ブダペスト覚書(合意)
1994年12月、全欧安全保障協力機構の仲介で、アメリカ・イギリス・ロシアの核保有国三国が、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの核拡散防止条約への加盟を条件に、安全保障を約束した。これによってウクライナなどの核兵器をロシアへ移転した。
1994年12月5日、ハンガリーの首都ブダペストで全欧安全保障協力機構(OSCE)が仲介し、旧ソ連圏に残された核兵器の措置について、アメリカ(クリントン大統領)・イギリス(メイジャー首相)・ロシア(エリツィン大統領)3ヶ国首脳が合意し、署名した覚書。表題は英文で Budapest Memorandum on Security Assurances で、「ブダペスト合意」と言われることも多い。Security Assurances は安全保障。メモランダムなので合意を約束した文書、つまり「覚書」とするのが正しい。条約のような拘束義務はない、約束といったところ。米英露三国の合意と同時にウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの三国もそれぞれ覚書に調印した。
このウクライナの核兵器とは、かつてソ連が配備したもので、約千発の核弾頭があったとされている。1991年にソ連の解体によってウクライナが独立したため、その管理運用をめぐって問題が生じた。ロシアはその移転を迫ったが、ウクライナ政府はそれを渋っていた。しかしもともとソ連が運用していたので、ウクライナ側には実際にはその運用能力はなかった(チェルノブイリ原発と同じ)。アメリカ・イギリスは核保有国として、ウクライナが核保有することは核拡散防止条約(NPT)に反することになるので反対した。そこでアメリカ・イギリスはウクライナへの経済支援を約束することで、ウクライナの核保有を放棄させようとした。ウクライナなど三国はそれを受け入れ、領内の核兵器はロシアに移転することとなった。
全欧安全保障機構の仲介という形で、核保有国であるアメリカ・イギリス・ロシア三国間で成立したのがブダペスト覚書(合意)であり、ウクライナなどの三国もそれを受け入れた。結果としてウクライナなどは核を放棄したことで安全保障を手に入れた、ということになる。またウクライナにとっては、核問題でロシアに譲歩する代わりに、クリミア半島の返還要求は断る事ができるという側面もあった。
なおこのころ、ロシアとウクライナとの間には核兵器とともに黒海艦隊の帰属問題もあった。黒海艦隊はロシアの戦力であるが母港セヴァストーポリのあるクリミア半島を領有するウクライナが独立したことで、その帰属を巡って係争状態となっていた。ロシアのエリツィンとウクライナのクラフチェクの両大統領話し合いでなんとか解決したが、一触即発の状況だった。このころ、ブダペスト覚書の成立を現地でつぶさにみていた外交官の報告も紹介されている<細谷雄一編『ウクライナ戦争とヨーロッパ』2023 東京大学出版会 p.14->。なお、協定で黒海艦隊は2025年までセヴァストーポリ港を使用できることとなった。
さらに翌2014年4月、ウクライナ東部のルガンスク州、ドネツク州でもロシア系住民が分離独立を宣言、ロシアがそれを支援するというウクライナ東部紛争が勃発した。
ウクライナはこれらは明らかに「ブダペスト覚書」違反であると国際世論に訴え、翌2015年2月にはOSCEが仲介してベラルーシのミンスクでロシア、ウクライナ、フランス、ドイツの四国で合意(ミンスク合意)が成立、戦闘行為を止め、ウクライナはロシア系住民地位の「特別な地位」を与えることで停戦を実現した。しかし、このミンスク合意で停戦にはなったものの、両国の双方の理解に隔たりがあり、将来への禍根が残ることとなった。
ロシアはブタペスト覚書について、ウクライナ側が2014年2月22日の「2014年の政変」で、親ロシア政権を倒したことで、信頼関係が失われたためと、主張し、もはやブダペスト覚書には拘束されない、と主張している。<小林義久『国連安保理とウクライナ侵攻』2022/7 p.68-69 による>
しかし、プーチンの説明は苦しく、国際世論の多くはロシアの行動は国連憲章とブダペスト合意に反する、主権国家に対する侵略行為であると認識された。国連総会でもロシア非難決議がなされ、欧米諸国による経済制裁も行われた。また開戦当初はロシア軍の進撃によってウクライナの首都キーウも陥落するのではないか、と危ぶまれたが、欧米諸国の軍事支援を受けたウクライナ軍の反撃によってロシア軍は後退し、戦線は一部ロシア領にまで広がりながら膠着している。<2024/11> → くわしくはロシアのウクライナ侵攻の項を参照
プーチンのその姿勢は強く非難されて当然であるが、そのウクライナやベラルーシに対する態度は、ロシア帝国・ソ連時代という歴史的関係を無視できないのであって、単純に日露関係に当てはまることではない。ロシアが歴史的、文化的な意味も含めて、クリミア半島やウクライナ東部に対して持っている「わが国土の一部である」という思い入れは、日本との間の北方領土の比ではない。そのような歴史的な事情を抜きにして、ウクライナ危機をそのまま日本に当てはめるのは無理がある。
出てきた日本の核共有論 ロシアのウクライナ侵攻がはじまってすぐに、「ウクライナはブダペスト合意で核を放棄したからロシアの攻撃を受けたのだ」という論調が出てきた。それは同時に「日本も核武装しなければダメだ」という主張を意味していた。ロシアのウクライナ侵攻三日目に安倍晋三元首相が民放のTV番組で、日本に米国の核兵器を配備し共同運用する「核共有」政策について日本でも議論するべきだとの考えを示した。<小林義久『前掲書』p.190>
2024年10月12日、総選挙前の日本記者クラブでの党首討論会を聞いていたら、石破首相が日本被団協のノーベル平和賞受賞に関連して核兵器の廃絶への考えを質問されたときの答えは「ウクライナはブダペスト合意で核兵器を放棄したからロシアの攻撃を受けた。その例から見て核抑止力は必要だと考えている」と回答していた。
産経新聞によると、2024年10月半ばにウクライナのゼレンスキー大統領も「核兵器保有」に言及して話題になったという。「ウクライナは核兵器を持って防衛するか、それとも何らかの同盟を持つしかない。北大西洋条約機構(NATO)以外の効果的な同盟を私たちは知らない」とEU首脳会議に参加した後の記者会見で発言したという。その前段でゼレンスキーは1994年のブダペスト合意に触れ「核大国のどこが攻撃されたか。核兵器を放棄したウクライナだけだ」と述べていた。もっともこれが大きく報じられると、別な場で「核兵器を製造しようというのではない。NATO加盟よりも強い安全保障はないとい言いたかったのだ」と釈明した。この記事では当時ウクライナは米ソに次ぐ世界三位の核保有国だったとしている。ただし「ソ連時代のウクライナはICBMの高度な技術を持っていたが、核弾頭の製造やメンテナンスといったことはロシアが担っていた。核弾頭をウクライナが管理することは技術的にも難しかっただろう。」と解説している。また「筆者は、ウクライナが核を保有し続けることは現実的ではなかったとみている」と記し「ブダペスト合意を破られたウクライナの怒りはもっともであり、米英にはウクライナを支える道義的責任がある」ので「ウクライナが実効ある安全の保障を求めてやまないのも当然である」から「ウクライナを守れなければ、核を巡る国際秩序の危機もいっそう強まる」と結論づけた。<産経新聞 2024/10/28 ネットニュースによる。外信部長兼論説委員遠藤良介記者>
POINT 以上の記事から、「ウクライナはブダペスト覚書で核保有を放棄した」という言い方には大事な点で留保しなければならないことが判る。ブダペスト覚書の、いくつか重要な留保点を確認しておこう。
もっともプーチンにしてみれば、ウクライナから移転された核兵器はもともとのロシアのものだったのだから、ロシアにとって得たものはないのであって、本来ロシア領であったクリミアやドネツクなどをウクライナ領にしてしまったのは1954年のフルシチョフの判断のあやまり(ウクライナ(5)参照)であり、その領有をウクライナに認めてブダペスト覚書にサインしたのはエリツィンが錯乱したためだぐらいにしか思っていなかったに違いない。 (これは私の推測です)
蛇足 ウクライナ戦争後のあかるい世界 なによりも恐ろしいこと、非難しなければならないことは、国連安保理の常任理事国(P5)の一つであり、核拡散防止条約(NPT)で核保有が認められている五カ国の一つでもあるロシアが、隣接する主権国家を軍事侵略したことである。それを許してしまったのは、国際連合のもつ集団安全保障の構想の破綻だとみるのは簡単であるが、そうではなく、創設77年をへてようやく回ってきた、国際連合改革のチャンスだと捉えるべきではないだろうか。
少なくともロシアは安保理常任理事国の地位から降りるべきであるし、拒否権を持つ常任理事国5カ国体制も終わらせなければならない。それは不可能では無い。今までも日本の常任理事国入り問題も含め、国連改革の取り組みの積み重ねもある。そして、核拡散防止条約(NPT)といういびつな核管理体制でなく、核兵器禁止条約(TPNW)を総ての国で批准して、真に核なき世界を実現することへの一歩になるのではないだろうか。<2024/11/2記>
米英露がウクライナなどの核兵器をロシアに移転することで合意
内容は、核保有国であるアメリカ・イギリス・ロシア三国が、旧ソ連邦に属していたウクライナ・ベラルーシ・カザフスタンの三国が核拡散防止条約(NPT)に加盟すること、つまり核兵器を所有しないことを前提として、その独立・主権・領土と安全を保障する、というものである。フランスと中国は、別途、個別に同様の保障を行った。このウクライナの核兵器とは、かつてソ連が配備したもので、約千発の核弾頭があったとされている。1991年にソ連の解体によってウクライナが独立したため、その管理運用をめぐって問題が生じた。ロシアはその移転を迫ったが、ウクライナ政府はそれを渋っていた。しかしもともとソ連が運用していたので、ウクライナ側には実際にはその運用能力はなかった(チェルノブイリ原発と同じ)。アメリカ・イギリスは核保有国として、ウクライナが核保有することは核拡散防止条約(NPT)に反することになるので反対した。そこでアメリカ・イギリスはウクライナへの経済支援を約束することで、ウクライナの核保有を放棄させようとした。ウクライナなど三国はそれを受け入れ、領内の核兵器はロシアに移転することとなった。
全欧安全保障機構の仲介という形で、核保有国であるアメリカ・イギリス・ロシア三国間で成立したのがブダペスト覚書(合意)であり、ウクライナなどの三国もそれを受け入れた。結果としてウクライナなどは核を放棄したことで安全保障を手に入れた、ということになる。またウクライナにとっては、核問題でロシアに譲歩する代わりに、クリミア半島の返還要求は断る事ができるという側面もあった。
なおこのころ、ロシアとウクライナとの間には核兵器とともに黒海艦隊の帰属問題もあった。黒海艦隊はロシアの戦力であるが母港セヴァストーポリのあるクリミア半島を領有するウクライナが独立したことで、その帰属を巡って係争状態となっていた。ロシアのエリツィンとウクライナのクラフチェクの両大統領話し合いでなんとか解決したが、一触即発の状況だった。このころ、ブダペスト覚書の成立を現地でつぶさにみていた外交官の報告も紹介されている<細谷雄一編『ウクライナ戦争とヨーロッパ』2023 東京大学出版会 p.14->。なお、協定で黒海艦隊は2025年までセヴァストーポリ港を使用できることとなった。
ウクライナの混乱
しかし、ロシアとウクライナの間では、2000年代に入り、深刻な対立が表面化していった。ウクライナでは西部を中心にした親西欧派がNATO、EUへの加入を主張し、東部はロシア系住民が多いことから親ロシア派が優勢となり、国内政治も分断され、2004年には親ロシア派政権が民衆蜂起で倒されて親西欧派政権が生まれた(オレンジ革命)が、2010年には親ロシア派政権が復活、さらにその選挙不正などに対して2014年に再び民衆が蜂起して親西欧派政権が生まれる(ユーロ=マイダン革命)という、動揺が続いた。ロシアの覚書無視
この間ロシアとウクライナ間のクリミア危機は徐々に深刻となり、ロシアのプーチン大統領は2014年3月、クリミア地方の住民がロシア帰属を希望していることを理由に突如クリミア半島に侵攻し強引にクリミアを併合してしまった。さらに翌2014年4月、ウクライナ東部のルガンスク州、ドネツク州でもロシア系住民が分離独立を宣言、ロシアがそれを支援するというウクライナ東部紛争が勃発した。
ウクライナはこれらは明らかに「ブダペスト覚書」違反であると国際世論に訴え、翌2015年2月にはOSCEが仲介してベラルーシのミンスクでロシア、ウクライナ、フランス、ドイツの四国で合意(ミンスク合意)が成立、戦闘行為を止め、ウクライナはロシア系住民地位の「特別な地位」を与えることで停戦を実現した。しかし、このミンスク合意で停戦にはなったものの、両国の双方の理解に隔たりがあり、将来への禍根が残ることとなった。
ロシアはブタペスト覚書について、ウクライナ側が2014年2月22日の「2014年の政変」で、親ロシア政権を倒したことで、信頼関係が失われたためと、主張し、もはやブダペスト覚書には拘束されない、と主張している。<小林義久『国連安保理とウクライナ侵攻』2022/7 p.68-69 による>
2022年2月、ロシアのウクライナ侵攻
プーチン大統領のクリミア併合は、国連の安全保障理事会の常任理事国(P5)の一国であるロシアが、国際秩序を軍事行動で乱し、主権国家に対して侵略行為を行ったことであり、国際社会に強い非難を呼び起こし、G8からは参加を拒否されるなど国際社会で孤立を深めていった。しかし、ロシア側はウクライナのNATO加盟の動き、東部ウクライナでのロシア系住民に対する迫害などをロシア国家にとって危機であるというとらえ方をしていた。これ以上の軍事行動には出ないだろうという予測を裏切り、2022年2月24日、プーチンはウクライナ侵攻を実行した。プーチンの言い分は戦争ではなくロシアの主権を守るための特別軍事行動であり、ウクライナのナチス勢力と一体のゼレンスキー政権を倒すことが目的であると表明した。その前提として1994年のブダペスト合意はすでに効力を失っていると述べた。しかし、プーチンの説明は苦しく、国際世論の多くはロシアの行動は国連憲章とブダペスト合意に反する、主権国家に対する侵略行為であると認識された。国連総会でもロシア非難決議がなされ、欧米諸国による経済制裁も行われた。また開戦当初はロシア軍の進撃によってウクライナの首都キーウも陥落するのではないか、と危ぶまれたが、欧米諸国の軍事支援を受けたウクライナ軍の反撃によってロシア軍は後退し、戦線は一部ロシア領にまで広がりながら膠着している。<2024/11> → くわしくはロシアのウクライナ侵攻の項を参照
ウクライナの核放棄の意味
この過程で、ベラルーシのルカチェンコ大統領は、ロシアの戦術核を配備することを認めた。これはベラルーシ領内に置かれたと言ってもロシアの管轄・運用下にあり、ロシアのものである。ベラルーシもブダベスト覚書の対象国であるから、核拡散防止条約だけでなくブダペスト覚書違反でもあるが、親ロシア政権は容易にプーチンの要請に応えている。ここにも国際条約無視というプーチンの強硬姿勢に追随する動きが見られる。プーチンのその姿勢は強く非難されて当然であるが、そのウクライナやベラルーシに対する態度は、ロシア帝国・ソ連時代という歴史的関係を無視できないのであって、単純に日露関係に当てはまることではない。ロシアが歴史的、文化的な意味も含めて、クリミア半島やウクライナ東部に対して持っている「わが国土の一部である」という思い入れは、日本との間の北方領土の比ではない。そのような歴史的な事情を抜きにして、ウクライナ危機をそのまま日本に当てはめるのは無理がある。
出てきた日本の核共有論 ロシアのウクライナ侵攻がはじまってすぐに、「ウクライナはブダペスト合意で核を放棄したからロシアの攻撃を受けたのだ」という論調が出てきた。それは同時に「日本も核武装しなければダメだ」という主張を意味していた。ロシアのウクライナ侵攻三日目に安倍晋三元首相が民放のTV番組で、日本に米国の核兵器を配備し共同運用する「核共有」政策について日本でも議論するべきだとの考えを示した。<小林義久『前掲書』p.190>
2024年10月12日、総選挙前の日本記者クラブでの党首討論会を聞いていたら、石破首相が日本被団協のノーベル平和賞受賞に関連して核兵器の廃絶への考えを質問されたときの答えは「ウクライナはブダペスト合意で核兵器を放棄したからロシアの攻撃を受けた。その例から見て核抑止力は必要だと考えている」と回答していた。
「ブダペスト覚書でウクライナは核兵器を放棄した」のは本当か
石破首相の「ブダペスト覚書でウクライナは核兵器を放棄した」という認識は、広く受け入れられているのか、マスコミで問題にされることは無かった。しかし、「ブダペスト覚書でウクライナは核兵器を放棄した」―→ だからロシアに一方的に侵略された―→だから核抑止力は必要だ―→日本も核武装(核共有も含めて)すべきだ、という論議は果たして正しいのか、検証してみたい。産経新聞によると、2024年10月半ばにウクライナのゼレンスキー大統領も「核兵器保有」に言及して話題になったという。「ウクライナは核兵器を持って防衛するか、それとも何らかの同盟を持つしかない。北大西洋条約機構(NATO)以外の効果的な同盟を私たちは知らない」とEU首脳会議に参加した後の記者会見で発言したという。その前段でゼレンスキーは1994年のブダペスト合意に触れ「核大国のどこが攻撃されたか。核兵器を放棄したウクライナだけだ」と述べていた。もっともこれが大きく報じられると、別な場で「核兵器を製造しようというのではない。NATO加盟よりも強い安全保障はないとい言いたかったのだ」と釈明した。この記事では当時ウクライナは米ソに次ぐ世界三位の核保有国だったとしている。ただし「ソ連時代のウクライナはICBMの高度な技術を持っていたが、核弾頭の製造やメンテナンスといったことはロシアが担っていた。核弾頭をウクライナが管理することは技術的にも難しかっただろう。」と解説している。また「筆者は、ウクライナが核を保有し続けることは現実的ではなかったとみている」と記し「ブダペスト合意を破られたウクライナの怒りはもっともであり、米英にはウクライナを支える道義的責任がある」ので「ウクライナが実効ある安全の保障を求めてやまないのも当然である」から「ウクライナを守れなければ、核を巡る国際秩序の危機もいっそう強まる」と結論づけた。<産経新聞 2024/10/28 ネットニュースによる。外信部長兼論説委員遠藤良介記者>
POINT 以上の記事から、「ウクライナはブダペスト覚書で核保有を放棄した」という言い方には大事な点で留保しなければならないことが判る。ブダペスト覚書の、いくつか重要な留保点を確認しておこう。
- ウクライナの保有した核兵器は、本来ウクライナのものでなく、ソ連が管理運営していたもので、基本的にそれを運用する能力は無かった。
- ウクライナの核兵器は「放棄」したのではなく、ロシアに「移転」された。
- ウクライナはNPT条約に加盟し、核兵器を保有できないことになった(保有できるのにそれをやめたのではない)。
- NPTに加盟し、核兵器のロシアへの移転に合意したのは、ウクライナだけでなくベラルーシ、カザフスタンの三国だった。
- 核放棄の見返りに安全保障とともに米英の経済援助の約束があった。。
もっともプーチンにしてみれば、ウクライナから移転された核兵器はもともとのロシアのものだったのだから、ロシアにとって得たものはないのであって、本来ロシア領であったクリミアやドネツクなどをウクライナ領にしてしまったのは1954年のフルシチョフの判断のあやまり(ウクライナ(5)参照)であり、その領有をウクライナに認めてブダペスト覚書にサインしたのはエリツィンが錯乱したためだぐらいにしか思っていなかったに違いない。 (これは私の推測です)
参考 「核武装」は抑止力になるか
次に、今までの世界史の学習を通じて「核武装が抑止力になるのか」考えてみよう。このロシアのウクライナ侵攻は、たしかに核保有国ロシアが、非保有国ウクライナに侵攻した、という図式である。もしウクライナが核武装、または核保有していたら(それができない状況だったことはすでに述べた)、侵攻されなかっただろう、とは想像できる。ロシアも全面的な核戦争に突入することは想定できないからだ。しかし、それまでの経過を見てきて判るように、ウクライナは核武装しようにもできないし、核共有もNATOに加盟していないのだからできない。プーチンはウクライナがNATOに加盟して核共有ができるようになる前に、ゼレンスキー政権を倒したかったに違いない。それができるのは、核所有という力を背景にしているからだ(アメリカもロシアを直接攻撃できないだろうから)。こう考えてくると、ウクライナが核保有していなかったから侵略された、ということがキモなのではなく、ロシアが核所有国だったから侵略できた、とみる方が正しい。つまり核所有は戦争の抑止力ではなく、推進力になるのである。(核を持っている相手国に対しては抑止力になるかもしれないが、核のない相手に対しては戦争の推進力にしかならない)。蛇足 ウクライナ戦争後のあかるい世界 なによりも恐ろしいこと、非難しなければならないことは、国連安保理の常任理事国(P5)の一つであり、核拡散防止条約(NPT)で核保有が認められている五カ国の一つでもあるロシアが、隣接する主権国家を軍事侵略したことである。それを許してしまったのは、国際連合のもつ集団安全保障の構想の破綻だとみるのは簡単であるが、そうではなく、創設77年をへてようやく回ってきた、国際連合改革のチャンスだと捉えるべきではないだろうか。
少なくともロシアは安保理常任理事国の地位から降りるべきであるし、拒否権を持つ常任理事国5カ国体制も終わらせなければならない。それは不可能では無い。今までも日本の常任理事国入り問題も含め、国連改革の取り組みの積み重ねもある。そして、核拡散防止条約(NPT)といういびつな核管理体制でなく、核兵器禁止条約(TPNW)を総ての国で批准して、真に核なき世界を実現することへの一歩になるのではないだろうか。<2024/11/2記>