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アッシリア帝国

北メソポタミアに起こり、前663年にオリエント全域を最初に統一した世界帝国。前612年に滅亡した。

 メソポタミアの北部に起こったアッシリアが、前9世紀には鉄製の戦車と騎兵隊を採用して、次第に強大となった。前8世紀の中ごろ、ティグラトピラセル3世(在位前745~727)は国境の拡大につとめ、服従した国は属国として支配し、抵抗した国は滅ぼして属州とする「帝国主義的」な政策に転換した。彼はさらに軍制改革をこない、戦車などの武具を改良し、強大な軍事力を有してシリア・パレスチナ方面に遠征し、前732年にはダマスクスを占領してアラム人を征服し、さらに東方では前729年にはバビロンを征服し、メソポタミアを統一しアッシリア王とバビロニア王を兼ねてた。アッシリアは、前722年にはイスラエル王国を滅ぼし、ユダ王国はアッシリアに朝貢する属国となった。

ティグラトピレセル3世の軍制改革

(引用)「ティグラトピレセル3世はアッシリアの軍制を大改革して、それまでの主として自由農民や奴隷によって編成さていた軍隊を属州や属国から徴募され訓練された職業軍人による常備軍に替え、従来の二人乗りで6本幅の車輪の戦車に替えて大型の8本軸の車輪を持つ三人乗り戦車を採用した。また歩兵の武具や攻城具をも改良し、これによってアッシリアは強大な軍事力を獲得した。」<山我哲雄『聖書時代史・旧約編』2003 岩波現代新書 p.137>

アッシリアのオリエント統一

 前8世紀末のサルゴン2世は支配地の諸民族を都に移住させるなど、メソポタミア全域に対する支配を強めた。さらに前7世紀中ごろアッシュール=バニパル王がエジプトを含む全オリエントを征服して前7世紀前半に最初の世界帝国となった。前3000年紀の都市国家段階の古アッシリアと区別して、前1000年紀のアッシリアを新アッシリア帝国ということもある。最盛期の都はニネヴェであり、アッシュール=バニパル王の王宮が発掘され、厖大な楔形文字を記した粘土板が発見され、世界最初の図書館として知られている。
駅伝制 アッシリア帝国は広大な領土をいくつかの州に分けて総督を置き、交通制度として駅伝制を整備して中央集権体制を維持しようとした。ニネヴェの図書館は、各州から集まる情報を集積する、帝国の情報センターの役割を担っていた。

アッシリア帝国の滅亡

 しかしその支配は、軍事力による過酷なものであったためか、被支配者の諸民族が反発し、それを抑えるため軍事力に力を注いだ結果、次第に国力を消耗した。アッシュール=バニパル王の死後、バビロニアにはカルデア人(アラム系)が新バビロニア(カルデア)が台頭し、東部のイラン高原にはメディアが自立、さらにエジプトにはエジプト人の第26王朝が復活した。そして前612年、新バビロニアとメディアの連合軍によって首都ニネヴェを占領されてアッシリア帝国は滅亡した。
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1章1節 カ.古代オリエントの統一