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コリント

ギリシアの有力ポリスの一つ。前4世紀初めはスパルタと戦う。アレクサンドロス時代後も独立を維持したが、前146年、ローマに滅ぼされた。

 古代ギリシアのポリス(都市国家)の一つ、ギリシア語ではコリントス。ペロポネソス半島のつけねに位置し、交通の要衝であったので商業が発達し、「ヘラスの星」と言われる有力ポリスとなった。シチリア島のシラクサはコリントの植民市として建設された。ギリシア建築の最も発達した形式とされるコリント式列柱はこの地から起こったとされる。

コリント戦争

ペロポネソス戦争ではスパルタなどと同盟を結び、アテネと対立し、その後スパルタの覇権が成立するとそれに反発してアテネ、テーベ、アルゴスなどと同盟してスパルタと戦った。それが前395年~前386年のコリント戦争である。この戦争はペルシア帝国の王の仲介で和約し、「大王の和約」と言われた。その後はテーベが台頭した。

ヘレニズム時代

 北方のマケドニアフィリッポス2世カイロネイアの戦いでアテネ・テーベの連合軍を破ると、前337年にこの地にスパルタを除くギリシアのポリスを集めて会議を開き、コリントス同盟(ヘラス同盟、ヘラス連盟ともいう)を結成させた。マケドニアの支配が続いたが、アレクサンドロス大王の没後は自立し、ヘレニズム時代はギリシア南部のポリス連合であるアカイア同盟に加わった。

前146年、ポリスの終末

 次いで西方からローマが東地中海に進出し、マケドニアとの間でマケドニア戦争が起こると、コリントはアカイア同盟の一員として当初はローマを支援、その力で都市国家の独立を保障されようとした。しかし、マケドニア戦争で勝利したローマがギリシア本土への統制を強めると反発し、前146年、ローマに対して開戦した。しかしローマ軍による攻勢によって敗れ、徹底的に破壊されて滅亡した。この年は西方でのカルタゴの滅亡と同年であり、ローマの地中海制覇が完成した年であると共に、ギリシアの古代都市国家の時代の終焉の年と言うことができる。
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