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魏(戦国)

中国の戦国時代、七雄の一つ。晋から分離し山西省から河南省にかけてを支配、前403年に諸侯となる。

 魏氏は春秋時代の有力諸侯の家臣であったが、前453年、韓氏・趙氏とともに晋を三分して自立し、さらに他のとともに、前403年に周王から諸侯であることを公認された。一般にこの時からを戦国時代とする。
 魏の文侯は、孔子の弟子の系統にある李悝(りかい)を登用し、『法経』を制定させた。それまで中国の諸侯の法はすべて慣習法であったが、はじめて成文法が制定された。(残念ながら『法経』は現存していない。)黄河中流域の山西省南部と河南省北部を支配し戦国の七雄の一つされたが、前225年、に滅ぼされる。
注意 魏という名前の王朝 中国の歴史上、「魏」という名称の王朝は、この戦国時代の魏以外に重要なものが二つある。一つは三国時代(220年~265年)で、こちらは曹操の子の曹丕(文帝)が建てたので、「曹魏」という場合もある。もう一つは、鮮卑拓跋氏が386年に建てた魏で、こちらは一般に「北魏」(386~)といって区別している。北魏は534年に「東魏」と「西魏」に分裂した。日本の卑弥呼でおなじみの「魏志倭人伝」の魏は、三国時代の魏である。
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