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戦国の七雄

前403年~前221年、中国の戦国時代、有力な七つの諸国をいう。それぞれが王を称して互いに抗争した。次第に最も西に位置した秦が有力となり、他の六国は合従連衡策で生き残りを図った。最終的には秦が統一に成功する。

戦国時代

戦国時代 a=韓 b=魏 c=趙 d=斉 e=燕 f=楚 g=秦

 古代中国の戦国時代に、中国を分割支配した七つの有力諸侯国を「戦国の七雄」という。一般に、の七国を言う。それ以外にも小国として魯、衛、宋などがあった。
 戦国時代とは、一般に前403年に晋が韓・魏・趙の三国に分裂してからを、それ以前の春秋時代と区別する時代呼称としている。洛邑(洛陽)にはまだ周王室(東周)が残っていて権威は保っていたが、実質的には小諸侯にすぎなくなっていた。
 これらの七雄はそれぞれ富国強兵策に努め、互いに争ったが、次第に最も西にあったが強大となった。他の6国は秦に対して、連合して対抗する合従(がっしょう)策をとるか、個別に協調する連衡(れんこう)策をとるかで論議し、外交交渉が活発に行われ、合従連衡が繰り返された。

秦による統一

 戦国時代の合戦は絶えなかったが、その中で最大とされるのが前260年の秦と趙による長平の戦いで、このときは秦の将軍白起が、趙の捕虜の約40万を生き埋めにして殺すという残虐行為が行われたことで知られている。
 この戦いで勝利を占めた秦は、前222年までに斉を残して撃破し、その斉も前221年に秦に征服され、秦によって統一されたので、秦王政は始皇帝として即位した。
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