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新民主主義論

日中戦争中の1940年、中国共産党の毛沢東が発表した中国革命についての指針。

 中国共産党の指導者毛沢東は中国革命を古い型のブルジョア民主主義革命でも、社会主義革命でもない、「新民主主義革命」と規定して、革命後の中国の目指す政権は、アメリカ型のブルジョア独裁でもソ連型のプロレタリア独裁でもない、第三の形態をとると位置づけた。さらに45年末には、「新民主主義論」をベースに、「連合政府論」を提起し、国民党中心の政権構想に対して、「幾つかの民主的諸階級の連合による新民主主義の国家形態と政権形態は長い期間を経て生まれるだろう」と述べた。
 日中戦争を乗り切った後、飢餓の続く中国国民には内戦に反対し平和的な統一国家の実現を求める声が急速に強まり、45年8月末には蔣介石・毛沢東の重慶会談が行われ、統一国家の建設で同意が成立した。しかし、結局は決裂し、46年7月から国共内戦に入った。国共内戦に勝利した後の49年9月に開催された中国人民政治協商会議を経て、49年10月1日に建国された、中華人民共和国はこの「新民主主義論」に基づき、当初は幅広い民主勢力の連合政権として発足した。
 このように、中華人民共和国が最初から共産党独裁政権ではなかったことに注意する必要がある。このような、複数政党による人民戦線的な民主主義が「新民主主義」であり、そのころ東ヨーロッパ諸国で掲げられていた人民民主主義に対応するものであった。しかし、まもなく冷戦が深刻化する中で、特に建国直後に朝鮮戦争をアメリカと戦うこととなった毛沢東は、急速にソ連に接近し、政権からもブルジョワ民主主義勢力と目される勢力を排除し、共産党独裁体制に移行し、事実上、新民主主義は継続されなかった。
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ノートの参照
第16章1節 ウ.東アジア・東南アジアの解放と分断