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ジブラルタル

アフリカ大陸とイベリア半島の間の海峡。1713年のユトレヒト条約でイギリス領となる。現在も領有問題続く。

イベリア半島最南端の岬をジブラルタルといい、アフリカ大陸との間の地中海の東端の海峡がジブラルタル海峡。ジブラルタルは現在はイギリス領。対岸はアフリカのモロッコで、セウタ(現スペイン領)とタンジール(モロッコ領)がある。

古代~中世

 この地は地中海世界の出入り口を扼し、ギリシア人には「ヘラクレスの柱」として知られていた。最初に進出した東方の民族はフェニキア人で、ここから大西洋に抜け、ブリテン島の錫やアフリカ西岸の金などを得ていた。ついでカルタゴが進出しその勢力圏に入った。カルタゴはさらに大西洋側にも乗り出している。ローマ時代にも西端の要衝となった。ローマ衰退後、ゲルマン民族の一つのヴァンダル人がこの海峡を越えてアフリカに入り、旧カルタゴの地に王国を築いた。その後もヨーロッパとアフリカの間に横たわるこの海峡はしばしば大きな歴史の舞台に登場する。

イスラーム勢力の侵入

 711年にジブラルタル海峡を越えてイベリア半島にイスラーム勢力が侵入し、この地は1462年までイスラーム諸王朝の支配を受けることとなる。その後スペインが1492年にグラナダのナスル朝をほろぼしてレコンキスタを完了させ、ジブラルタル海峡をはさんでキリスト教世界とイスラーム教世界が対峙することとなった。

大航海時代

 ポルトガルは1415年、ジョアン1世の皇太子エンリケがモロッコ側のセウタを占領、新航路開拓に乗り出した。1580年にポルトガルはスペインに併合されたので、セウタもスペイン領とり、ポルトガル独立回復(1640年)後もスペイン領にとどまった。

近代~現代

 スペイン継承戦争の際にはイギリス軍がジブラルタルに上陸占領し、1713年の講和条約ユトレヒト条約ミノルカ島とともにイギリスに割譲された。それ以来現在に至るまで、ジブラルタルはイギリス領土として続いており、英語とポンドが使われ、二階建てバスが行き来している。当然スペイン政府は再三にわたって返還を要求しているが、イギリスは海軍基地を手放すことができず、返還は認められていない。一方、スペインは領有していたセウタで境界紛争を引き起こし、1859~60年にモロッコに出兵、モロッコ戦争(アフリカ戦争とも言う)を引き起こした。モロッコには東隣のアルジェリアを1830年に植民地化したフランスも進出を狙っており、モロッコはイギリス、フランス、スペイン、さらにドイツという帝国主義諸国の激しい対立の舞台となり、ジブラルタル海峡も緊張も増していった。

モロッコ事件

 1904年、英仏協商が成立してフランスのモロッコ支配とイギリスのエジプト支配が相互に認め合ったことに対して、ドイツ帝国のヴィルヘルム2世が強く反発し、翌年自らタンジールに上陸するというタンジール事件が起こった。

Episode ジブラルタルの語源

 ジブラルタルという地名は、711年にイスラームのウマイヤ朝軍がヨーロッパに侵入したとき、アラブの遠征部隊指揮官ターリク・ブン・ジヤードがこの地に陣を敷き、その時に「ターリクの山」を意味する Jabal al-Tariq (ジャバル-アル-ターリク)といわれたのが語源で、スペイン語に転訛したものとされる。<フィリップ・コンラ『レコンキスタの歴史』文庫クセジュ による>
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ノートの参照
9章2節 イ.アメリカにおける殖民地争奪