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孤立主義

アメリカ合衆国の外交姿勢の基本はモンロー教書に代表される孤立主義であった。次第に大国として国際社会での役割もつようになると、第一次世界大戦への参戦で大きく転換した。しかし、国際連盟への非加盟に見られるように孤立主義の伝統も守っていた。第二次世界大戦ではF=ローズヴェルトが国際連合の設立など国際協調路線で世界をリードした。戦後は冷戦の中で西側世界との同盟関係を強め、ソ連・社会主義陣営と対決したが、冷戦終結後、2000年代に入り孤立主義にもどる傾向を強めている。

 アメリカ合衆国の伝統的な外交政策の原則とされた、ヨーロッパ諸国への不介入のと、その干渉を認めないという外交姿勢を言う。1823年のモンロー大統領が掲げた「モンロー教書」によって明確にされたのでモンロー主義とも言われ、ヨーロッパとの相互不干渉と同時に、ラテンアメリカなど西半球へのアメリカ合衆国の優先権を主張した。すでにワシントンジェファソンも、新国家建設のためにはヨーロッパ諸国の対立に巻き込まれるべきでないと考え、国際的には中立の立場をとり、外交より内政を重視すべき出るとしていた。その一方で、初代財務長官ハミルトンに見られるように、積極的なヨーロッパとの通商を行い、海洋国家として外交を展開すべきであるという論調もあった。建国期以後もウィルソン大統領のように民主主義の理念を世界に押し広げるのが課題であると考える潮流、さらにジャクソン大統領のように国家の安全と繁栄を最優先に、軍事力の行使も辞さないという国威高揚をはかる路線もある。

帝国主義時代の拡大解釈

 19世紀中ごろ、南北戦争を機に工業国家としての統一をなしとげ、ナショナリズムが成立するとともに、フロンティアが消滅すると海外膨張の傾向が出てきて、帝国主義段階になると、1898年の米西戦争でラテンアメリカおよび太平洋方面への進出を図るようになり、さらにT=ローズヴェルト大統領は「モンロー主義の系論」を掲げて棍棒外交といわれる力による外交を展開した。これはモンロー教書を拡大解釈したものであった。

第一次世界大戦での転換

 第一次世界大戦でも世論と議会にはヨーロッパの戦争に加わるべきでないという声が強く、ウィルソン大統領は当初中立を守ったが、途中から孤立主義を転換し、第一次世界大戦に参戦した。そして、1918年1月、議会で十四カ条を提起して、戦後の国際協調による再建を訴えた。

国際連盟に加盟せず

 ウィルソンの十四カ条に沿ってパリ講和会議ヴェルサイユ条約が締結され、国際連盟が発足することになったが、アメリカは議会の保守派の抵抗によって加盟しなかった。戦間期の孤立主義の傾向は、1924年の移民の受け入れを制限する移民法の制定などにも現れている。一方、世界経済の覇者となった二十年代には、経済繁栄を背景としてヨーロッパ情勢にも関わりを持たざるを得なかったが、1929年の世界恐慌で暗転し、世界がブロック経済へ向かうとアメリカも保護主義に傾いた。

孤立主義からの転換

   ファシズムの台頭に対してもフランクリン=ローズヴェルト大統領は、当初は1935年に中立法を制定して介入を避けていた。しかし、ナチスドイツの侵略行為が強まり、アジアにおける日本の台頭がアメリカの権益を脅かすようになるとF=ローズヴェルトは武器貸与法の制定し、イギリスのチャーチルとの大西洋憲章などで孤立主義を放棄して、アメリカが世界の民主主義と自由をまもる戦いの中心となるという使命感から第二次世界大戦に参戦し、戦後においても国際連合の一員であるとともにドルが世界の基軸通貨となるなど、経済面でも世界の大国としての義務と責任を果たすという姿勢を強めた。

東西冷戦下の軍事介入

 しかし、東欧などでのソ連・共産勢力の拡大を大きな脅威と受け取ったアメリカは、トルーマン=ドクトリンで東側世界の封じ込めに転じ、冷戦期に入った。冷戦期にはソ連と社会主義陣営と対決する自由主義陣営の盟主として、朝鮮戦争への派兵や、その他の国や地域に対する干渉的な軍事行動を展開するようになった。ここでは、孤立主義は姿を消し、アメリカの国際協調主義と大国意識が結びついた、覇権的な行動が目立った。その典型がベトナム戦争であったが、その長期化は国際収支の悪化や反戦運動の高まりなど、アメリカを根底から揺るがすこととなり、70年代初頭のドルショックや、中国との国交回復という大きな転換をもたらした。

冷戦からの転換

 1960年代にアフリカの独立が相次ぎ、世界の多数の新興国が国際連合に加わり、国際社会での1票を行使するようになると、アメリカの国際連合離れが顕著になっていった。1970年代以降は、西側世界のアメリカ一極構造は終わりを告げ、経済統合を進めた西欧諸国、経済を復興させた日本などとの多極化の時代に入った。並行して社会主義圏ではソ連経済の停滞、中国の文化大革命の混迷など、かつての米ソ二大国が世界をリードするという冷戦構造は解消に向かっていた。

単独行動主義の傾向

 そのころから、アメリカには保護貿易主義が台頭するなど孤立主義的な傾向が復活しはじめていたが、1980年代の終わり、冷戦が終結すると、アメリカが唯一の軍事大国となったことによって「世界の警察官」として振る舞う傾向が強まった。特に、2000年代に入ると共和党ブッシュ(子)大統領は、9.11の同時多発テロを契機にアメリカは「テロとの戦い」を掲げ、単独行動主義(ユニラテラリズム)といわれる姿勢を明確にした。アフガン戦争、イラク戦争ではまさにそのような傾向が強まった動きであった。

オバマからトランプへ アメリカの迷走

 二大政党政治の伝統が熱強いアメリカ合衆国では、常に揺り戻し現象があるので、2009年に共和党に変わって民主党のオバマ大統領が就任すると、アメリカ単独主義は後退し、再び国際協調路線が採られるようになった。しかし、2期8年のオバマ時代が終わると、アメリカ国民はこんどは大方の予想に反して共和党トランプ大統領を選んだ。トランプ大統領は、大統領選挙中から“アメリカ・ファースト!!”と連呼し、単独行動も辞さない外交を主張した。トランプの登場により、ブッシュ(子)時代の中核にあったネオコン(新保守主義者)のボルトンが政権中心に復活するなどアメリカは再び単独行動主義に戻る姿勢を明確にしている。 → 冷戦後のアメリカの外交政策

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