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統一労働者党(ポーランド)

第二次大戦後のポーランドの社会主義政党。スターリン主義の影響を受けたモスクワ派が民族派のゴムウカを排除したが、1956年の反ソ暴動を機にゴムウカが復帰した。

 第二次世界大戦後のポーランドを支配したマルクス主義(共産主義)政党。戦前からの共産党が1942年に労働者党と改称、さらに戦後の1947年12月に社会党と合同して、統一労働者党を結成した。このころからスターリンの強い指導下にあったソ連共産党の影響力の強いモスクワ派が主流を占めるようになり、戦前からの指導者であったゴムウカは民族派として失脚した。ポーランドはスターリン派の主導で、1952年にポーランド人民共和国を成立させ、社会主義国家体制を樹立した。
 しかし、1956年にソ連でスターリン批判が始まり、ポーランド反ソ暴動が起きると、ソ連はゴムウカを復帰させて事態の収拾を図った。ゴムウカはソ連軍の介入を拒否すると共にソ連共産党との関係の修復に努め、ワルシャワ条約機構から離脱しないことを条件に権力に復帰し、混乱を収束させた。
 その後、ゴムウカの指導する統一労働者党は一党独裁体制を強め、長期支配を維持したが、1970年の経済政策失敗を機に大規模なストライキが起きてゴムウカは第一書記を退陣し、ギエレクに代わった。しかし、その後も社会主義経済の停滞が続きポーランドの民主化が強まっていった。1980年にはグダニスク造船所の労働者がストライキに立ち上がり、統一労働者党の統制を受けない労働組合として独立自主管理労組を結成し、その全国組織である「連帯」は統一労働者党の一党独裁や硬直した経済運営は厳しく弾劾され、1989年には一連の東欧革命が起こる中で、ポーランドにおいても統一労働者党第一書記ヤルゼルスキは複数政党制を認め、6月の総選挙で「連帯」にやぶれ政権の座から降りることとなった。 → 共産党
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ノートの参照
第16章1節 ア.戦後の国際政治・経済秩序