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共産党

主としてマルクス主義を標榜し、共産主義社会の実現をめざす政党。その名称には国によって異なる。各国の共産党の動きをまとめる。

共産党の結成

 一般にマルクス主義を発展させた共産主義(Communism)の実現をめざす政党が共産党と名なるケースが多いが、その名称には「社会主義」や「労働」あるいは「労働者」「労農」などをつける場合も多い。1918年にロシア社会民主労働党の多数派であるボリシェヴィキロシア共産党に改称したのが始まりで、同年末のドイツ共産党など各国に共産党が生まれた。その理念は1848年のマルクス・エンゲルスの『共産党宣言』に源流がある。

レーニンのボリシェヴィズム

 レーニンのボリシェヴィズムは共産党を大衆政党ではなく共産主義革命の最前線となる革命家集団と位置づけたので厳しい統制と民主集中制がとられた。また1919年にレーニンの指導で設立されたコミンテルン世界共産党ともいわれ、国境を越えた国際共産主義運動を展開し、各国共産党はコミンテルン支部の性格も持っていた。しかし、ソ連共産党はレーニン死後、世界同時革命を主張するトロツキーを失脚させ、一国社会主義をとるスターリンが権力を握り(1928年)、コミンテルンにおいてもソ連共産党の主導権が強まった。

第二次世界大戦前の共産党運動

 1929年、世界恐慌が起こり、労働者の経済状態が悪化したことに伴い、ドイツ共産党を始めフランス共産党やイタリア共産党がそれぞれ勢力を伸ばすと、資本家や保守的大衆は共産党を危険視して、その対極にあるファシズムを擁護したため、その台頭がもたらされた。1933年にはドイツでヒトラーのナチスが政権を奪取し、ドイツ共産党は非合法とされてしまった。1935年にはコミンテルン第7回大会は人民戦線戦術に転換し、社会主義勢力やブルジョワ自由主義政党との連帯を打ち出した。しかし、1939年ソ連共産党のスターリンがヒトラーとの間に独ソ不可侵条約を締結したことは各国の共産党に衝撃を与え、国民的支持を拡大する障害となった。

戦後の共産党

 第二次世界大戦後は、ドイツ支配から解放される際にソ連の力が大きかった東ヨーロッパ諸国に共産党政権が次々と誕生し、ソ連はコミンフォルムを結成したそれを統制しようとした。また東ヨーロッパ諸国は、ソ連がマーシャルプランに対して設けたコメコンに加わり、いずれもソ連共産党の指導を受け入れる立場となり、コメコンでの経済的結びつきを強めて東ヨーロッパ社会主義圏を形成、さらに1955年にはワルシャワ条約機構が組織されて東西冷戦時代の東側陣営を構成することとなった。
 またアジアにおける中国共産党の国共内戦での勝利に続く中華人民共和国の建設は、戦後世界の大きな衝撃として迎えられた。しかし次第に各国の共産党の連帯は薄れ、それぞれの地域事情から独自の行動をとる共産党も現れた。東欧の中にあってソ連と対立したユーゴスラヴィア共産党はコミンフォルムから除名され、独自の社会主義路線を構築した。1956年からスターリン批判が始まると、東欧の中にもソ連共産党から距離を置くものが現れたが、それに対してソ連共産党はチェコ事件に見られるような軍事介入をこない、同時に制限主権論(ブレジネフ=ドクトリン)を強調して指導権維持を図った。しかし70年代になると西欧の共産党の中には、議会政治との妥協を図るイタリア共産党などのユーロ=コミュミズムの路線などが現れ、多様化した。

各国の共産党

 なお、共産党は東ドイツでは社会主義統一党、ポーランドでは統一労働者党、ブルガリア、ルーマニアでは労働者党、アルバニアでは労働党などと称した。アメリカ合衆国にも共産党は存在する。1919年にアメリカ社会党が分裂して左派がアメリカ共産党を称した。世界恐慌期に勢力を伸ばしたが、戦後のマッカーシズムによって弾圧され党勢は衰えた。
アジアの共産党 アジアの共産主義運動はコミンテルンの指導を受けて組織された。最初の共産党は1920年結成のインドネシア共産党で、翌21年に中国共産党が発足した。日本共産党は1922年に堺利彦、山川均らによって結成されたが非合法とされ、地下に潜った。1925年には治安維持法が制定され、1928年の三月十五日事件以来、激しい弾圧を受けた。朝鮮では1945年に金日成によって朝鮮労働党が結成された。

共産党の現状

 共産党一党支配を実現した諸国は資本主義社会に対抗して東側世界を形成し、その中でソ連共産党は官僚的機構が巨大化するとともに、スターリンに対する個人崇拝という本来の共産主義とは違った面が強くなり、また共産党同士の中ソ対立(中ソ論争)などから混迷し、20世紀末にはソ連共産党の崩壊を契機として各国の共産党も大きな転機を迎えてた。また西側各国にも議会政治の中で共産党はそれぞれ党勢をのばしたが、冷戦終結後はいずれも後退を余儀なくされ、共産党の名称を捨てるものも現れた。現在、共産党として政権を維持しているのは中国共産党、朝鮮労働党、キューバ共産党のみである。

ユーロコミュニズム

 西ヨーロッパ各国の共産党のなかに、ソ連型の教条化、官僚制化した共産主義を脱却して、党内民主化を進め、複数政党制と議会制民主主義を認めようとするユーロコミュニズムという動きがでてきた。1973年、イタリア共産党書記長ベルリングェルは「歴史的妥協」と称してカトリック勢力(キリスト教民主党)との提携を打ち出し、さらに1975年にはスペイン共産党書記長カリリョと政策転換で合意し、77年にはフランス共産党もそれに加わった。社会民主主義とは一線を画し、階級政党としての使命を否定はしていないが、暴力革命や一党独裁制の主張はみられなくなった。イタリア共産党は91年に党名を「左翼民主党」に改めた。
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第16章1節 イ.ヨーロッパの東・西分断