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第1次五カ年計画(中国)

1953年に始まる中華人民共和国の社会主義建設計画。工業化と農業の集団化が進められた。

 1953年に開始された中華人民共和国の社会主義建設方針を具体化した政策。それは中国共産党毛沢東によって提起された、「過渡期の総路線」の基本内容であり、53年からの3次にわたる五ヵ年計画によって「工業化と農業の集団化」を図るものであった。五カ年計画が目指した社会主義の理念は、中華人民共和国憲法に盛り込まれた。
 第1次五ヵ年計画はソ連の第1次五カ年計画を模範とし、またその技術と資金の全面的な援助で実施され、57年までにほぼ目標を達成した。
 しかし、その急速な重工業育成と、農業集団化は様々なひずみを生み出し、次の58年からの第2次五ヵ年計画「大躍進」政策として実施されたが失敗に終わった。「大躍進」政策の失敗によって指導力に陰りを生じた毛沢東が、それを挽回するために始めたのが文化大革命であると考えられる。

工業化と農業集団化

 中国の1953年に開始された第1次五ヵ年計画の主要な内容が「工業化と農業集団化」であった。当時中国は、農民が80%以上を占める農業国であり、重工業はほとんど存在しなかったので、全面的にソ連の工業技術・経済援助に依存して、武漢・包頭・鞍山の鉄鋼コンビナートを中心とした重工業優先の重点方式がとられた。その結果、中国の工業化は急速に進み、56年には総生産額で工業が農業を追い抜いた。一方の農業の集団化は、当初は土地その他の生産手段は各戸の私有が認められた上で集団で耕作する「合作社」(40戸程度までの自然村落に造られたのが初級合作社、平均160~170戸からなるのが高級合作社)が急速に造られ、56年末までに96.3%が集団化された。なお、農業集団化と並行して、手工業者は手工業生産合作社に組織し、私企業に対しては公私合営として生産手段を国家が買い取り、実質的に国有国営化を図った。また商人も商業合作社に組織された。<小島晋治・丸山松幸『中国近現代史』1986 岩波新書 p.208-212>
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第16章1節 ウ.東アジア・東南アジアの解放と分断
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小島晋治・丸山松幸
『中国近現代史』
1986 岩波新書