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対共産圏包囲網の形成

東西冷戦の深刻化にともなってアメリカを中心に西側諸国がソ連など共産圏に対する包囲網を形成した。

 第二次世界大戦後の東西冷戦は、ヨーロッパではNATOによる東側「封じ込め」によって均衡を維持し、戦火の発生はなかったが、アジアにおいては民族独立運動と結びついて、パレスチナ戦争、インドシナ戦争、国共内戦、朝鮮戦争が相次いで勃発した。その中から中華人民共和国が生まれ、ベトナムと朝鮮では北部に社会主義政権が勢力を保ち、エジプトでは親ソ連のナセル政権が誕生した。
 このようなアジアの社会主義化・共産化が「ドミノ倒し」の様に進むこと(ドミノ理論)を恐れたアメリカ(共産化とは、アメリカの市場が失われるということなので)は、1951年~54年にかけてアジア各国と個別または集団的な防衛条約を締結して、対ソ・対中国包囲網を形成していった。また、従来の経済復興支援中心のマーシャル=プランを終了させ、1951年10月には相互安全保障法(MSA)を制定して、被支援国に防衛協力の義務を負わせる支援体制に転換した。
 1951年8月 米比相互防衛条約      9月 ANZUS条約日米安全保障条約
 1953年10月 米韓相互防衛条約
 1954年9月 SEATOの結成       12月 米華相互防衛条約
 1955年 METO結成
 こうしてアジアには、日本-韓国-台湾-フィリピン-タイ-パキスタン-イラン-イラク-トルコという対共産圏包囲網ができあがった。この中でパキスタンが、SEATOとMETO(後のCENTO)双方に加わったことが注目できる。このころパキスタンは東パキスタン(現在のバングラディシュ)を含んでいたので、東南アジア地域に隣接していた。また直前に同じくイギリスから独立していながら、隣国インドとの間で厳しい宗教的対立と国境問題での対立を抱えていたからである。インドは米ソいずれにも加担しない中立政策をとり、中華人民共和国を承認し、この包囲網には反対していた。
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ノートの参照
第16章2節 ア.朝鮮戦争と冷戦体制の成立