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ユニラテラリズム/単独行動主義

多国間の協力ではなく、一国のみで国際問題を解決しようという動き。冷戦終結後、アメリカ合衆国が唯一の超大国となる共に現れ、特に2001年の同時多発テロをうけ、ブッシュ(子)大統領が2002年にブッシュ=ドクトリンを打ち出し、単独あるいはごく少数の協力国だけで国連に諮らず、予防的な戦争を開始することを宣言し、翌年イラク戦争が始まったことに顕著に表れている。

 ユニラテラリズム unilateralism とは、単独行動主義、または一国行動主義ともいう。これ多国間主義=マルチラテラリズムの反対概念であり、特に軍事大国であるアメリカ合衆国が、国際連合や同盟諸国との国際協調よりも、単独あるいは少数の協力国だけで軍事行動を起こすことをいう。

アメリカの孤立主義と国際協調

 アメリカ合衆国は建国当初から対外的な孤立主義をとり、それはモンロー主義によってより明確に基本方針とされていった。ただし一方で国際協調の必要を重視する場面も現れ、アメリカの外交政策は孤立主義の原則と国際協調の現実とのせめぎ合いとして展開してきた。20世紀に入って民主党の二人の大統領、ウィルソンとフランクリン=ローズヴェルトはそれぞれ世界大戦を終結させ平和を実現することと共に国際連盟・国際連合という多国間協議による国際問題の解決の機関設立に努力しアメリカ外交の方向性を孤立主義から大きく転換させた。しかし、アメリカは国際連盟に加盟しなかったこと見られるように孤立主義の伝統もまた強固に存在した。そこにユニラテラリズムの本質が含まれていたと考えることも出来る。
 第二次世界大戦末期に国際連合の設立をリードしたアメリカは、戦後はIMFでの世界経済再建の責任を負う国として行動し、その他の国際的機関の中心的存在となった。また冷戦下ではソ連圏に対抗するため西側陣営との協調は不可欠であるという考えから、その外交原則は多国間主義をとらざるを得なかった。

アメリカの国連離れ

 しかし、1960年の「アフリカの年」を境にして、国際連合に多数の小国が加盟すると、その総会は一国一票であるので、アジアやアフリカの小国が多数派となり、アメリカ合衆国の意向はそのまま反映されないこととなった。国連憲章では総会の権限は審議と勧告にとどまり決議に法的拘束力は無いとされているが、総会の決議とアメリカの意志が異なることが多くなったことに対し、次第にアメリカ合衆国はいらだちを感じ始め、国連離れと言われる傾向が強くなってきた。それはILOユネスコからの脱退となって現れた。
 しかし、この頃までの第二次世界大戦期以降のアメリカ外交の基本性格は、ユニラテラリズムの傾向を内包していたとは言え、基本的には多国間主義がとられていたと言ってよいであろう。ところが、1990年代以降の大きな変化が現れ、2000年代にはユニラテラリズムが全面に出てくるようになった。

冷戦の終結後の変化

 1990年代のソ連の崩壊とそれに続く、冷戦の終結によって、アメリカ合衆国が「唯一の超大国」の立場に立つこととなると、国際的紛争の解決において、多国間の協調よりもアメリカ一国だけで行動をとる傾向が強まっていった。
 その背景には、やはり冷戦終結後に各地で激しくなってきた民族紛争や地域紛争であり、その中からテロによる一般市民が多数犠牲になるという事態が起こるようになったことがあげられる。20世紀的な国家間の戦争、あるいは国家陣営間の戦争という形態から、市民生活の中で引き起こされる自爆テロや毒物の散布などの無差別攻撃という様相を呈するようになった。その新しい危機の状況が典型的に現れたのが、2001年の9.11同時多発テロであった。 → 9.11後のアメリカ外交政策

ブッシュ(子)大統領、単独行動主義へ

 特に2001年からの共和党ブッシュ(子)政権はテロとの戦いから自国を防衛するには国際連合に諮らずに単独ででも敵地に先制攻撃を加える必要があるというブッシュ=ドクトリンを明らかにした。このような予防的な戦争を単独で行うという行動はアメリカの外交にもかつてないほど、ユニラテラリズム(単独行動主義)を鮮明にしたものであった。
イラク戦争 ブッシュ(子)大統領のこのような単独行動主義は、その側近として力を増していた新保守主義(ネオコン)と呼ばれる人びとによって推進され、2001年のアフガニスタン戦争と2003年のイラク戦争となって現実のものとなった。国連との協議は行われても形式的になり、ほとんど無視されて、アメリカ軍を主体とした軍事行動が展開された。ブッシュ(父)大統領のときの湾岸戦争は国連決議のもとでの多国籍軍の軍事行動とされたのとは本質的に意味が違っていた。
 そのようなアメリカ合衆国の国際連合無視とも言える行動は、他の場面でもエスカレートしてゆき、例えば包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を拒否しづけていること、旧ソ連との間で締結した迎撃ミサイル制限条約(AMD)からの一方的離脱(2001年12月)などの安全保障に関することだけではなく、国際刑事裁判所(ICC)参加への署名撤回(2002年5月)、京都議定書からの離脱(2001年3月)など人権、環境問題にも及んでいる。 → 9.11後のアメリカ外交

トランプの登場

 しかし、その後、ブッシュ政権がイラク攻撃の根拠とした大量破壊兵器の開発が誤報だったことが明らかになるなど国の内外からその戦争政策が批判され、2009年に民主党オバマ大統領に交代、アメリカの単独行動主義は抑えられた。そころが、2017年の共和党トランプ大統領は「アメリカ第一主義」を掲げ、再び単独行動主義(とは言っていないが)色を強めている。2019年8月、米ソ間の核軍縮に関する中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)の離脱、同年11月の気候変動への国際的枠組みである「パリ協定」からの離脱を決めたのはその表れであった。
 トランプ政権の動きは、アメリカの外交政策の歴史に見られる孤立主義と国際協調主義との相克の中で、オバマ政権への揺り戻しであったが、それはアメリカの利益を第一にするという単純で狭隘な政策に過ぎず、何ら理念を伴うものではなかったため、一部の狂信的な支持者を除いては支持を拡げることは出来なかった。2020年の大統領選挙で当選したかつて民主党オバマ政権の副大統領であったバイデンは、2021年1月に就任すると、世界に向けて「アメリカは帰ってきた」として国際協調路線への復帰を表明した。

参考 ユニラテラリズムとは

 アメリカ合衆国のユニラテラリズム(単独行動主義)は、2000年代に入ってからのブッシュ(子)大統領の時から鮮明になった。しかし、アメリカ外交の基本姿勢と言われる孤立主義=モンロー主義の中に、すでにユニラテラリズムの萌芽があることを、アメリカの歴史学者A・シュレジンガー・Jrが『アメリカ大統領と戦争』2005が論じている。その一節。
(引用)政策形成には歴史が大きく関わってくる。私たちが現在「単独行動主義(ユニラテラリズム)」と呼ぶ政策は、共和国と同じくらい古い歴史を持つものである。この政策は、ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファソンによって始められ、その後、一世紀にわたって政治家を導き、いまなお多くのアメリカ人によって信奉されている。しかし、時代は変化する。ウッドロウ・ウィルソンとフランクリン・D・ローズヴェルトは、世界が小さくなり、アメリカがますます攻撃を受けやすくなる状況にかんがみて、集団防衛のための手段と組織が国益にとって必要だという結論に到達した。
 アメリカが自国の安全を多国籍の組織にまったく委ねてしまうべきだとは誰も考えなかったが、集団防衛は危険をはらむ世界への理性的な対応だと思われた。たとえば、父のブッシュ大統領は、最初の湾岸戦争で示したように、多国間協調主義(マルチラテラリズム)を望ましいことだとみなした。しかし若いほうのブッシュ大統領は、古い単独行動主義を旗を振りかざしている。
 さらにジョージ・W・ブッシュ(子)は単独行動主義に従来とは異なる意味をもたせている。ブッシュ・ドクトリンは、予防戦争をアメリカ外交の根幹に取り込んでしまった。それは、封じ込め政策と抑止政策――その両者によって私たちは冷戦に勝利をおさめた――を軽視する。私たちは予防戦争を行う独占的権利を根拠なしに主張し、かつて国務長官のジョン・クインシー・アダムズが「撲滅する怪獣を探しに」海外に進出することに対して発した重大な警告を無視している。アダムズは、そのような路線を歩めば、アメリカは「世界の独裁者」となり、「もはや自らの精神を律することがなくなるだろう」といった。・・・<A・シュレジンガー・Jr/藤田文子・博司訳/『アメリカ大統領と戦争』2005 岩波書店 まえがき
アメリカで生まれている国連に対する批判については次のように述べている。
(引用)よみがえる単独行動主義の極致は、国連に反対する運動だった。――そして、それはいまでも続いている。国連は、二人のアメリカの大統領によって世界の舞台に押し出されたアメリカの構想だった。しかしながら、いまでは、創設者たちの国で容赦ない攻撃を受けている。共和党が支配する議会は、国連は巨大化し金を浪費し不遜だと非難し、アメリカは巨額な分担金を長期にわたって支払わず、さまざまな方法を用いて、この国際機関の機能を損なおうとした。アメリカの国連脱退を求める法案さえ議会に提出されている。<A・シュレジンガー・Jr『同上書』 p.17-18
アメリカの単独行動主義の頂点にあるのがブッシュ=ドクトリンだ、とシュレジンガーはいう。
(引用)よみがえった単独行動主義の政治力を誰も疑うことは出来ない。その力は、冷戦後のアメリカが地球上唯一の超大国としての地位を占め、その結果、国際的な抑制と均衡が弱くなったことによって強化されている。単独行動主義は、戦争を防止するために戦う権利があり、しかもアメリカだけがその権利が与えられているとうたうブッシュ・ドクトリンで頂点に達した。しかし、ブッシュ・ドクトリンは単独行動主義の限界も示している。ひとたびイラクにおける状況が困難なものになると、ブッシュ政権は、自ら招いた混乱を、それまでブッシュ政権が軽蔑の対象としてきた国連に押しつけようとしたのだった。<A・シュレジンガー・Jr『同上書』 p.19
そして単独行動主義に対して、次のように結論づけている。
(引用)私はアメリカが、国益を推進する一方で、共同の行動がしばしば国益を守る最善の方法かもしれないことに、ますます気づいていくものと信じている。21世紀は、しばらくは激動と混乱が続くだろう。世界では、想像を絶する貧困、人口爆発、絶望的不平等、大量移民、狂信的な民族的宗教的敵対、人為的国境、絶えざる武器流通、怒れる資源獲得競争、伝統的制度の崩壊、希望と不満の交錯といった事態が続くだろう。・・・結局、国連こそが、知識を蓄積し、負担を分け合い、非難を分ち合う有用な方法なのだ。それが持つあらゆる欠点にもかかわらず、国連がなかったとしたら世界は今よりももっと問題の多いものになってしまうだろう。……そのうち私たちは、単独行動主義の失敗から、他国と協力しながら国際機関を活用し強化することによって、私たちを悩ませている諸問題と取り組むことを学ぶだろう。<A・シュレジンガー・Jr『同上書』 p.20-21
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A・シュレジンガー・Jr
藤田文子/博司訳
『アメリカ大統領と戦争』
2005 岩波書店