印刷 | 通常画面に戻る |

社会主義市場経済/中国の市場経済導入

1980年代、中国の鄧小平政権の改革開放路線のもとで、市場経済を導入しながら共産党一党独裁を維持する体制。現在の中国は資本主義経済を全面的に取り入れながら複数政党、議院内閣制などの西欧型民主主義は採用されておらず、また言論や集会の自由なども制限されている。

 中国では文化大革命の終了後に本格的な経済近代化政策が始まり、1978年には中国共産党が対外貿易拡大、外資利用、先進技術・管理経験の吸収、合弁の推進、そして対外開放の特殊・活性化戦略として輸出のための特別区の設置方針を採用、80年5月から、深圳(シンセン)・珠海・汕頭(スワトウ)・厦門(アモイ)の四つの地区が経済特区(特区)として開放された。特区では外資と外国技術に依拠し、合弁企業もしくは外国単独企業が生産の中心となり、これらを誘致するために、インフラの整備、税制面の優遇措置などの法的整備が求められた。鄧小平政権は対外開放政策を「豊かになれる条件を持った地域、人々から進んで豊かになろう」という「先富論」を方針として、格差を是認した。
 1984年には特区に続いて大連、秦皇島、天津、上海、福州、広州、湛江、北海など14の沿海都市を対外経済開放都市に認定し優遇措置を与えた。同年10月、中国共産党は「経済体制改革に関する決定」を採択し、指令統制経済から商品経済(後に「市場経済」と表現されるようになる)への移行の必要性が強調された。従来、「計画経済を主とし、市場調節を補とする」のが社会主義経済の常識であったが、ここでは「市場調節を主とする」ほどに商品経済の重要性が強調されるようになった。企業には自主権が与えられ、経営の主体である工場長に大幅な経営権を付与する(工場長責任制)が採られた。
 1987年の中国共産党第13回全国大会は、趙紫陽の「政治報告」で、「社会主義初級段階論」を提起し中国の現状を社会主義社会ではあるが経済が立ち遅れ、農業が主で自給自足経済が大きな比重を占め、貧困と停滞が続いており、そこからの脱皮を図ることを最優先課題となっている段階と規定した。その脱皮のために近代的工業の発達、商品経済への移行が図られ、従来資本主義的と見なされていた不動産の売買、私営企業や株式制度の導入などの正当性をもつこととなった。さらに趙紫陽は、従来の経済特区、対外開放都市という開放拠点を増やすやり方から、沿海地区全体を西側的な国際経済システムに組み込み、厳しい国際競争の中で発展を図ろうとした。88年春は海南島を省に格上げし、全体を経済特区に指定した。
 1989年に第2次天安門事件が起こると、中国当局による引き締めが強化され、開放政策は一時進度が鈍ったが、1990年代に入り、江沢民政権の下で再び積極的な「社会主義市場経済」建設が推進され、2000年代には世界経済でも大きな力を持つに至っている。現在の中国は、社会主義は標榜しているものの、「限りなく資本主義に近い」状態にあり、またその人的資源から世界経済の中心になる勢いを示しており、2001年にはに世界貿易機関(WTO)に加盟した。さらにアメリカとの貿易関係でも出超に転じ、ドルとのバランスが崩れたところから、2005年には中国の通貨の元を切り上げるに至っている。
印 刷
印刷画面へ