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フェリペ2世

16世紀後半、ハプスブルク家スペインの全盛期の国王。カトリック政策を強化し、新教国イギリスと対立、オランダの独立運動を弾圧した。アメリカ新大陸からアジアにかけて広大な「太陽の沈まぬ国」といわれたスペインを統治した。


フェリペ2世
 スペイン=ハプスブルク家のスペイン王(在位1556~98)でスペイン絶対王政の全盛期の王である。カルロス1世(神聖ローマ帝国皇帝カール5世)の長男。母はポルトガル王女のイサベル。1556年、カルロス1世の引退によって、スペイン王となる(神聖ローマ皇帝位はカールの弟フェルディナントが継承した)。

Episode 「書類王」フェリペ2世

 フェリペ2世の父のカルロス1世(カール5世)は「遍歴の国王」といわれ、スペインに留まらず広大な神聖ローマ帝国領の各地を移動していたが、フェリペ2世はほとんどスペインから離れず、カステーリャ語しか話さなかった。1561年に宮廷をマドリードに定め、63年から王宮・修道院・墓所を兼ねたエル・エスコリアルを建設した(84年に完成)。「この樹木のない山腹から、余は2インチの紙片で世界の半分を統治している」と自ら語ったように、彼はここで当時としては最大級に整備された行政機構の頂点に立ち、「日の沈むことなき」広大な領土から送られてくる書類の山に相対する毎日を送った(書類の数は月に1000通、「勤務時間」はしばしば14時間に達したという)。このようはフェリペ2世を人は「書類王」とも「慎重王」とも称したという。<『新版世界各国史』16 スペイン・ポルトガル史 p.161 /岩﨑周一『ハプスブルク帝国』2017 講談社現代新書 p.105>

カトリックの盟主としてのフェリペ2世

 「異端者に君臨するぐらいなら命を100度失うほうがよい」と述べたフェリペ2世は、カトリックによる国家統合を最も重視した。プロテスタントだけでなくユダヤ教徒、モリスコ(キリスト教に改宗したイスラーム教徒)の動きは厳しく告発され、何度も火刑が行われた。異端審問と共に禁書目録が作られ、エラスムスの書物も発禁とされた。<『新版世界各国史』16 スペイン・ポルトガル史 p.161 右上の肖像も同書 p.158 による>

Episode フェリペ2世、はじめて笑う

 フェリペ2世は、自らカトリック世界の最高の保護者たらんとして、領内のカトリック以外の宗派には厳しい弾圧を加えた。当時ヨーロッパでは旧教と新教の両派による激しい宗教戦争が展開されており、フランスでもユグノー戦争の最中の1572年にサンバルテルミの虐殺が起こって、多数の新教徒が殺害された。その知らせを聴いたフェリペ2世は、それまで笑ったことのない冷酷な男だったが、生まれて初めて笑ったと伝えられる。

太陽の沈まぬ国

 フェリペ2世は、父から継承したスペイン、ネーデルラント、ナポリ、シチリアなどのヨーロッパ内の領地と、アメリカ大陸、アジアのフィリピンなどの領土を支配し、その支配領域は広大であった。
ポルトガル併合 さらに1580年には、ポルトガル王家が断絶したことにつけ込み、母がポルトガル王家出身であったことから王位継承権を主張し、1581年にはコルテス(身分制議会)で即位を認めさせ、ポルトガル王としてはフェリペ1世となった。このポルトガルを併合によって、イベリア半島を統一的に支配し、さらにアフリカ・インド・東南アジア・中国に点在する海外領土を獲得して、フェリペ2世のスペインはまさに太陽の沈まぬ国を実現した。

フランスとの講和

 前代からの広義のイタリア戦争でのフランスとの対立が続いていた。即位直後の1557年、サン・カンタンでフランス軍を破り、輝かしい勝利をおさめた。フェリペ2世は皇太子の時、イギリスのメアリ1世と結婚していたので、イギリスにも出兵を要請、しかしイギリス軍は敗れて、翌58年にはフランス内のイギリス領カレーを失った。メアリのカトリック復帰強行が国民の多数が反発、イギリスとの関係は再び悪化した。同年にメアリが亡くなると、フェリペ2世は次のエリザベス1世にも結婚を申し込んだが断られ、イギリスは国教会に復帰することになった。こうしてフランスとの戦争を継続することが困難となり、1559年カトー=カンブレジ条約で講和し、長期にわたったイタリア戦争はようやく終結した。

レパントの海戦

 16世紀の地中海世界は、1538年のオスマン帝国海軍がプレヴェザの海戦でスペイン・ヴェネツィア連合海軍を破ってから、オスマン海軍の支配下にあった。それに対して、フェリペ2世は1571年、教皇ピウス5世の提唱した神聖同盟に加わって艦隊を派遣、レパントの海戦でオスマン帝国海軍に挑戦してそれを破った。それ以来、スペインの海軍は無敵艦隊と称されるようになった。しかし、この勝利でただちに地中海の制海権を回復したわけではなかった。

無敵艦隊の敗北とオランダの喪失

 カトリックの保護者としての強い自覚のあったフェリペ2世は、カルヴァン派の新教徒ゴイセンの多かったネーデルラントに対してもカトリックを強要した。それに反発して1568年にはネーデルラント独立戦争が始まると、その独立運動を厳しく弾圧し、さらにネーデルラントを支援するイギリスを討とうとして1588年無敵艦隊を派遣したが、イギリス海軍に敗れてしまった。この敗北はスペインの全盛期は終わりを告げることとなる。
ネーデルラントの独立   ネーデルラントは1581年に独立を宣言、独自の経済活動を開始した。スペインにとって経済的基盤であったネーデルラントとその中心都市アントウェルペンを失うと、本国では基盤となる毛織物産業がオランダなどに押されて低迷し、他に産業を持たなかったので、その経済は急速に衰退した。スペインは17世紀にはその地位をオランダ、イギリスに奪われ没落することとなる。

Episode 日本の少年使節を謁見したフェリペ2世

 1584年11月11日、フェリペ2世(57歳)が、フェリペ3世(6歳)の皇太子宣誓式をマドリードのサン=ヘロニモ教会で挙行した。その式に列席した人びとの中に、日本の九州の大名がスペイン王・ローマ教皇に使節として派遣した4人の少年たち(天正少年使節)がいた。ついで14日には4人はフェリペ2世(この時期にはポルトガル王でもあった)に謁見、所期の目的の一つを果たした。彼らは1582年に宣教師のヴァリニャーノに伴われて長崎を出航、西回りでリスボンに上陸し、マドリードに来たのだった。ついで85年3月にはローマに入り、教皇グレゴリウス13世に謁見している。彼らが帰国した1590年には日本の政権は豊臣秀吉に移り、キリスト教禁止に転じていた。<松田毅一『天正少年使節』講談社学術文庫 p.186,174>

借金大国スペイン

 大航海時代のアメリカ新大陸のはスペインが独占し、アントウェルペンなどを経由してヨーロッパにもたらされ、価格革命が起こった。スペイン自体も、マドリードに宮廷文化を開花させ、繁栄を誇ったかに見える。しかし、スペイン財政の実態は、借金王国と言える状態であった。それは先代のカルロス1世(カール5世)の時から続く、フランスとのイタリア戦争、地中海方面におけるオスマン帝国との戦争、オランダの独立戦争とそれに続いて起こったイギリスとの戦争と、戦争がたて続けに起こっており、その戦費は大きくスペイン財政を圧迫していた。その戦費捻出のため、フッガー家やヴェルザー家など、各国の富豪から借金していたので、アメリカ新大陸からもたらされる銀は多くがその返済に充てられ、スペインは負債に苦しんでいたのである。フェリペ2世は1557年破産宣告(国庫支払い停止宣言)を行い、債務をその額の5%の年金支払いとする長期公債に切り替えて窮地を脱し、その後も支払い停止措置を60年、75年、96年と繰り返し出している。フェリペ2世はカトリックの守護者を以て自認し、カトリック世界に君臨するため、異教徒や新教徒との戦いを続けたのだが、それはスペインという一個の国家の守備範囲を大きく超えることだった。もはやそのような世界帝国は不可能であったことをフェリペ2世時代のスペインは理解することができなかったと言える。 → スペインの衰退

Episode 世界支配者の四度の結婚

 フェリペ2世はエル・エスコリアル宮殿でどんな生活を送っていたのだろうか。フェリペ2世は生涯に4回も結婚している。ポルトガルの王女マリア、イギリス女王のメアリ1世、フランス王アンリ2世の娘エリザベート(母はカトリーヌ=ド=メディシス)、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の娘アンナであった。みてわかるように、いずれも外国の君主の娘であり、絵に描いたような政略結婚であった。マリアとの間には長男のドン=カルロスが生まれたが、フェリペは彼を自ら投獄するという悲劇が起こった。そのため、スペイン=ハプスブルク家の後継者となったのは最後のアンナとの子供フェリペ3世だった。

Episode ドン=カルロスの悲劇

 シラーの戯曲(1787)を原作としたヴェルディの歌劇『ドン・カルロス』(1867)はフェリペの長男の悲劇を材料としている。王子ドン・カルロスはフランス王女エリザベートと知り合い、恋をしたが、何とエリザベートは父フェリペ2世の政略結婚の相手と決まってしまい、エリザベートもそれを承諾する。父に対して怨みを持ったドン・カルロスはスペインから独立を企んでいるオランダに渡り、父に反逆する。怒った父フェリペ2世はわが子を捕らえ、殺さなければならない・・・、というあらすじだが、かなりフィクションで史実では無い。しかし、ドン・カルロスは身体的、精神的な異常があり、父との関係が悪かったことは確かなようだ。
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書籍案内

岩﨑周一
『ハプスブルク帝国』
2017 講談社現代新書

立石博高
『フェリペ2世』
世界史リブレット52
2020 山川出版社