カビール
ヒンドゥー教とイスラーム教の融合を図った15~16世紀のインドの宗教家。バクティ運動とスーフィズム運動を結びつけ、カースト制の否定に結びつく宗教改革運動を指導した。
6~7世紀の南インドに始まったヒンドゥー教の強い信仰心で神に帰依することをめざすバクティ運動は、12世紀の初めに北インドにも広がった。次第にイスラーム教のスーフィズム(神秘主義)の影響を受け、全インドの民衆に浸透していった。そのようなヒンドゥー教のバクティ信仰とイスラーム教のスーフィズムを結びつける宗教思想を体系づけたのがカビールである。
彼はデリー=スルタン朝末期の15世紀中頃、北インドのベナレス(ヴァラナシ)のバラモンの寡婦の子として生まれ、ムスリム織工に育てられてイスラーム教徒となったが、ヒンドゥー教のバクティ信仰に触れながら、カースト制度の否定、不可触民への差別の非難、偶像崇拝の否定、苦行や儀礼の否定など「宗教改革」的な活動を行い、民衆の支持を受けた。その宗教思想はパンジャーブ地方でシク教を創始したナーナクにも影響を与えた。
カビールは教科書で取り上げられることは少なく、取り上げられても「不可植民への差別を非難」した人物という程度であるが、実は近代のガンディーなどの後のインドの思想に大きな影響を与えた人物である。
タゴール も、ともにカビールの哲学の直系の末裔といえよう」と述べている。
機織りするカビールと唱和する弟子
中村平治『インド史への招待』吉川弘文館 p.75
バクティ運動の実践者をバクタという。その中で、15世紀の北部・北西部インドのカビールの役割はずば抜けて大きい。彼はバナーラス(ベナレス)を拠点に、カーストの否定と人間の平等、ヒンドゥーとムスリムの団結を説いた。もともとカビールはバラモン女性の私生児であり、ムスリムの家庭に育てられ、職業は機織りで、教えはすべて民衆語の初期ヒンディー語による吟唱を旨とした。その祈りの形式はバジャンとよばれ、北インド一帯で熱烈な歓迎を受けた。彼自身はヴィシュヌ派のある聖者の影響を受けていた。他方で彼の思想はシク教の開祖ナーナクによって継承され、20世紀にはガンディーの思想にも影響を落としている。<中村平治『インド史への招待』1997 歴史文化ライブラリー 吉川弘文館 p.72-78>
アンベードカルはかつてのマラーター王国の都プーナ近くで、マハールと言われる不可触民の家系に生まれた。一家は熱烈なカビール派の信者で、憐れみ・慈愛・諦念といった人間的性情を神に帰することによって慰めを見いだすバクティ思想を強く抱いていた。この派の信奉者はクリシュナやラーマ神の中に道徳的糧を見いだしていたが、信徒の心を最もひきつけたのは、カースト制を糾弾して止まなかった始祖カビールの教えであった。不可触民のかなりの部分がカビール派に転向したのはこのためであった。<ダナンジャイ・キール/山際素男訳『アンベードカルの生涯』2005 光文社選書 p.27>
彼はデリー=スルタン朝末期の15世紀中頃、北インドのベナレス(ヴァラナシ)のバラモンの寡婦の子として生まれ、ムスリム織工に育てられてイスラーム教徒となったが、ヒンドゥー教のバクティ信仰に触れながら、カースト制度の否定、不可触民への差別の非難、偶像崇拝の否定、苦行や儀礼の否定など「宗教改革」的な活動を行い、民衆の支持を受けた。その宗教思想はパンジャーブ地方でシク教を創始したナーナクにも影響を与えた。
カビールは教科書で取り上げられることは少なく、取り上げられても「不可植民への差別を非難」した人物という程度であるが、実は近代のガンディーなどの後のインドの思想に大きな影響を与えた人物である。
織工カビール
神への専心一途な献身的信仰を説くバクティ運動の波及のもと下層の職人カーストから出現した大衆の聖者は「サント」と呼ばれて崇敬された。カビールこそ“サントの中のサント”と言っても過言ではない。カビールは歴史的人物としては事実と伝説が入り混ざり、不明な部分が多いが、15世紀半ばから16世紀の10年代までとする説が多い。一説では、百二十歳の長寿を全うしたとも伝えられる。通説では、彼はバラモンの寡婦の私生児として生まれ、人目をはばかった母にベナレスの沐浴場の近くに捨てられたが、善良なムスリムの織工夫婦に拾われ、イスラーム教徒として養育された。こうして彼自身、生涯をムスリムの織工として過ごしたというが、これは伝説であり、どうやら彼はもともとヒンドゥー教からイスラーム教に集団改宗した下層の織工ジャーティ(不可触賎民ではなかった)の出であったらしい。いずれにせよ、カビールが出自からヒンドゥー、イスラーム両宗教に深く関わっていたことは事実である。多感な青年期にヒンドゥー教に関心を抱き高名な伝道家ラーマーナンダに師事したが、ヒンドゥー教に帰宗したのではなく、イスラーム教スーフィー派の神秘思想と、ヒンドゥー教のバクティ信仰をみずからの思想と信仰のうちに見事に合一させたのである。カビールの思想
(引用)彼が求め拝したのは、イスラーム教のアッラーでも、ヒンドゥー教のクリシュナ=ラーマ神でもなく、そうした名称をもって呼ばれている特定の宗教の神を超えた唯一絶対なる神=真理であった。それゆえ彼は、ヒンドゥー教の偶像崇拝と同様、イスラーム教の儀式や慣習の形式主義を批判し、神は寺院やモスクにいますのではなく、農夫や織工が額に汗して働く田畑や工房に、親子が寄り添って暮らす円満な家庭にいますことを、言いかえれば、神はヒンドゥーの司祭やムスリムのムッラー(学者・教師)の独占物ではなく、人間の心のなかにいますことを説いた。そんな彼が、聖典の権威を排し、苦行や沐浴や巡礼を無意味とし、とりわけカーストほかいっさいの身分差別を指弾したことは言うまでもない。<森本達雄『ヒンドゥー教』2003 中公新書 p.320-322>カビールこそは「宗教の寛容の精神」を身を以て実践し、万人に判る言葉で(彼自身はほとんど文字を知らなかった)最初に説いた「人間の宗教」の先駆者であった。森本氏は「この意味で、20世紀インドを代表する二人の宗教思想家ガンディーも
バクティ運動とカビール
機織りするカビールと唱和する弟子
中村平治『インド史への招待』吉川弘文館 p.75
カビール派とアンベードカル
1930年代、ガンディーがサティヤーグラハを掲げ非暴力・不服従のインド独立運動を展開した時期に、ガンディーとは対立しながら、カースト外の民としてヒンドゥー教徒から差別されていた不可触民の解放運動を指導したアンベードカルは、熱心なカビール派の信者の家に生まれた。アンベードカルはかつてのマラーター王国の都プーナ近くで、マハールと言われる不可触民の家系に生まれた。一家は熱烈なカビール派の信者で、憐れみ・慈愛・諦念といった人間的性情を神に帰することによって慰めを見いだすバクティ思想を強く抱いていた。この派の信奉者はクリシュナやラーマ神の中に道徳的糧を見いだしていたが、信徒の心を最もひきつけたのは、カースト制を糾弾して止まなかった始祖カビールの教えであった。不可触民のかなりの部分がカビール派に転向したのはこのためであった。<ダナンジャイ・キール/山際素男訳『アンベードカルの生涯』2005 光文社選書 p.27>