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マレーシア連邦

1963年、マラヤ連邦とシンガポールに加え、北ボルネオ、サラワクを含む連邦国家となる。インドネシアが反発し、国交断絶となる。また連邦内の民族対立から、1965年にはシンガポールが分離した。

 1963年9月、マラヤ連邦シンガポールボルネオの二州(サラワクとサバ)で構成することとなった新たな連邦国家。いずれも旧イギリス領であったところ。首都はマレー半島の西側のクアラルンプールにおかれた。
 東南アジアの半島部にあるマレー半島の大部分と、その最先端の貿易港シンガポールに加え、島嶼部のボルネオ島に及ぶ連邦国家が成立したことは、東南アジア情勢に大きな影響を与え、特にボルネオに領有権を主張するインドネシア共和国にとっては大きな脅威と受け止められた。そのため、インドネシアのスカルノは、マレーシア連邦成立と同日に国交を断絶した。さらに、国際連合がマレーシア連邦を非常任理事国に選出すると、反発して1965年1月、国際連盟の脱退を表明した。

マレー人と中国系の対立

マレー半島の本来の住民であったのはマレー人であったが、東南アジアという中国とインドに挟まれた地域で、それらとの交易も昔から活発だったので、マレーシア連邦を校正した民族派マレー人以外にも中国系(華僑)とインド系(印僑)も多かった。特にシンガポールは資本を握る華僑の力が強く、たびたびマレー人と衝突、建国間もない1965年に、シンガポールは分離独立することとなった。
 マレーシア連邦成立後もイギリス軍の駐留が続いていたが、1968年にイギリスのウィルソン内閣が、スエズ以東からの撤兵を表明、それに従って1971年までに撤退し、マレーシアは名実ともに自立した。
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