ヒズボラ
現代のレバノン南部で活動するシーア派武装組織。イランの革命政権の強い支持を受けている。自爆テロなどの戦術でイスラエルとの激しい戦闘を繰り返した。レバノンの国政にも参加、地盤を築いている。イスラエルは北部住民の脅威となっているとして、2023年からのガザ戦争にあわせて激しい攻撃を加えた。
1982年、イスラエルのレバノン侵攻に抵抗する組織として、シーア派武装組織ヒズボラ(ペルシア語発音でヘズボッラー Ḥizb Allāh、アラビア語で「アッラー(神)の党」の意味)が生まれ、イランの支援をうけて運動を展開、その手段として自爆攻撃をするようになった。彼らはレバノンの混迷の中で、1985年頃から南部を中心に地盤を築き、活動を活発にしてイスラエルへのミサイル攻撃を展開、イスラエル兵に多数の犠牲が出た。そのため、イスラエルは2000年にレバノン南部から撤退し、レバノンではヒズボラの戦闘力への依存が高まった。
ヒズボラは2000年代に入って新たな展開を見せているパレスチナ問題の焦点の一つとなった。2002年にはアメリカがイランの核疑惑を問題になると、イスラエルは強い懸念を抱き、イラン攻撃の可能性が高まった。その前にヒズボラを叩く必要があると考え、2006年7月12日にヒズボラがイスラエル兵を拉致したことをきっかけに、イスラエルは再びレバノン南部に侵攻(2006年のレバノン侵攻)した。イスラエルはヒズボラの拠点を空爆したが、ヒズボラはミサイルで反撃されたため、地上部隊を侵攻させた。しかしヒズボラの抵抗は激しく、イスラエル軍は大きな損害が出た。国際世論の反発もあって、から停戦に応じた。
その最初の例が1982年11月、ヒズボラの一員がイスラエル軍本部に爆薬を満載した車輌を運転して近づき自爆、75人のイスラエル将兵が死亡した。イスラーム教徒がこのようなことをするのは初めてだった。翌1983年4月ベイルートのアメリカ大使館が自爆攻撃を受け、63人が死亡した。10月23日にはアメリカ軍海兵隊宿舎が爆破され、241人のアメリカ兵が死亡した。これほどの兵士が一日で死亡したのは太平洋戦争での硫黄島での戦闘以来だった。何分かあとにはフランス軍兵舎が爆破され58人が犠牲となった。このような同時多発自爆テロはアルカーイダによる2001年9月11日の9.11同時多発テロの手法の先例だった。<高橋和夫『イランとアメリカ、そしてイスラエル』2026 朝日選書 p.101-103>
ヒズボラは政治勢力の一つとして、レバノンの国政に参加、選挙を通じて代表をレバノン議会に送り、一定の政治的影響を持つに至っている。しかし国際社会からは依然としてテロ組織と見られており、そのイランやシリア(アサド政権)寄りの姿勢に対してはレバノン内部や他のアラブ諸国からの反発も多い。とくにシリアの反アサドを掲げた改革派の蜂起から始まったシリア内戦に関してはアサド政権を軍事支援していると言われている(正式には認めていないが)。
ハマスを支援してイスラエルを攻撃 このハマスのイスラエル侵攻の翌日、ヒズボラがやはりイスラエルへの攻撃を開始した。ハマスに連帯しての参戦だった。イスラエルは南のハマスと北のヒズボラとの両面での戦いを強いられた。さらに遠く、アラビア半島の先端のイエメンのシーア派武装組織フーシ派もミサイルでイスラエルを攻撃した。
イスラエルはシーア派の民兵組織であるヒズボラやフーシ派の背後にはイランがあると見ており、戦争がイランとイスラエルの全面的な対決となることが予想された。当初はヒズボラとイスラエルの交戦は小規模なものであったが、北部イスラエルの住民がヒズボラの攻撃を避けて中部、南部に避難し始めると、イスラエル軍がヒズボラに対する強硬策を主張するようになり、2024年9月、イスラエルはヒズボラに対する大規模な攻勢に転じた。大きな打撃を受けたヒズボラは、同年11月にイスラエルとの停戦に応じた。<高橋和夫『イランとアメリカ、そしてイスラエル』2026 朝日選書 p.17>
イスラエルの諜報活動で成功した例には、日本製のポケベルに爆薬を忍び込ませ、遠隔操作で爆発するような装置を作った例がある。何年もかけて改良し2018年に両手で操作すると暗号を受信できるポケベルを完成させた。それは、両手で操作すると爆発し、両手が吹き飛ぶというものだった。そんなポケベルをモサドの女性職員が発案したという。それをヒズボラに売り込みのに成功した。ところがモサドの諜報部員からこのポケベルの秘密がバレそうだという連絡が入った。そう聞いたネタニヤフ首相は「それなら、今すぐに!」と発言した。2024年9月17日、イスラエル側がポケベルのスイッチを入れた。爆薬が少なかったので死者は15人と少なかったが、3300人が両手と眼を傷つけられた。この諜報作戦はアメリカにも知らされなかった。首相は作戦が成功したのを受け、10月と想定していたヒズボラへの総攻撃を早め、9月20日にヒズボラの特殊部隊の指揮官たちの会合が開かれることを察知し、その場所を空爆した。ヒズボラの特殊部隊は指揮官たちを失い、動きを封じられた。<高橋『同上書』 p.108-113>
9月27日、イスラエル空軍のF15戦闘機14機がベイルートを空爆、84トンの爆弾をヒズボラの最高指導者ナスラッラーの隠れていた地下壕に向けて投下した。ナスラッラーは地下15mのバンカーにいた。バンカーは崩れなかったが、爆発によって酸素がなくなり、ナスラッラーは窒息死した。ちょうどこの時、ニューヨークの国際連合総会ではイスラエルのネタニヤフが演説していたが、多くの国の代表がイスラエルのガザ攻撃に抗議して退席しており、ガラガラの総会場での熱弁だった。イスラエルの国際社会での孤立を象徴する情景であったが、ネタニヤフは強硬な姿勢を崩さず、現地ではイスライル空軍のヒズボラ拠点への空爆を続けた。ネタニヤフが、これだけ国際世論を無視することが出来るのは、アメリカのトランプ大統領の支持があったからである。<高橋『同上書』 p.88,117>
それが2026年2月28日、アメリカとともにイランを攻撃、イラン戦争に突入した前提である。しかしヒズボラの抵抗は終わっていないようだ。アメリカとイランの停戦交渉が進まない理由の一つに、依然としてイスライエルがヒズボラ攻撃をやめられないでいるところにあるようだ。<2026/6/10記>
ヒズボラは2000年代に入って新たな展開を見せているパレスチナ問題の焦点の一つとなった。2002年にはアメリカがイランの核疑惑を問題になると、イスラエルは強い懸念を抱き、イラン攻撃の可能性が高まった。その前にヒズボラを叩く必要があると考え、2006年7月12日にヒズボラがイスラエル兵を拉致したことをきっかけに、イスラエルは再びレバノン南部に侵攻(2006年のレバノン侵攻)した。イスラエルはヒズボラの拠点を空爆したが、ヒズボラはミサイルで反撃されたため、地上部隊を侵攻させた。しかしヒズボラの抵抗は激しく、イスラエル軍は大きな損害が出た。国際世論の反発もあって、から停戦に応じた。
自爆テロ戦術
1980年代に活動を開始したヒズボラは、イスラエルの圧倒的な武力に対抗するため、自爆テロという戦術を用いるようになった。爆発物を満載した車輌を運転して、自爆して敵を巻き込むという戦術をとったのはヒズボラがはじめてであり、彼らはその戦いを殉教攻撃と呼んだ。それを仕掛けられたイスラエルやアメリカ軍から見ればテロ攻撃だった。その最初の例が1982年11月、ヒズボラの一員がイスラエル軍本部に爆薬を満載した車輌を運転して近づき自爆、75人のイスラエル将兵が死亡した。イスラーム教徒がこのようなことをするのは初めてだった。翌1983年4月ベイルートのアメリカ大使館が自爆攻撃を受け、63人が死亡した。10月23日にはアメリカ軍海兵隊宿舎が爆破され、241人のアメリカ兵が死亡した。これほどの兵士が一日で死亡したのは太平洋戦争での硫黄島での戦闘以来だった。何分かあとにはフランス軍兵舎が爆破され58人が犠牲となった。このような同時多発自爆テロはアルカーイダによる2001年9月11日の9.11同時多発テロの手法の先例だった。<高橋和夫『イランとアメリカ、そしてイスラエル』2026 朝日選書 p.101-103>
レバノンの国政でも存在感
イスラーム教過激派テロ集団のひとつと見られているシーア派民兵組織ヒズボラであるが、レバノン政府や国際社会が求める武装解除にも応じず、レバノン南部を実効支配し続けたが、彼らは住民に病院や学校を提供するなど社会活動にも力を入れて民衆の支持を受け、事実上独立した「ヒズボラ国」の状態となった。レバノン政府が弱体で、民政部門が手薄になっていたことも背景だった。ヒズボラは宗教指導者ナスラッラー師のもとで、イスラエルの空爆犠牲者の遺族の保護、病院や学校以外にも町の清掃事業など住民に密着した活動を行い、住民の強い支持を受けている。その点ではパレスチナにおける反イスラエルの武装民兵組織ハマスと共通している。イスラエルが神経をとがらせて対ヒズボラの装備を強め、さらにレバノン国内にも、イランの影響力の強いヒズボラが支配地域でイラン国旗を掲揚することなどに対する反対勢力の活動もあり、その支配が安定的に続くかどうかは、難しい情勢もある。<2010年5月27日『朝日新聞』などにより構成>ヒズボラは政治勢力の一つとして、レバノンの国政に参加、選挙を通じて代表をレバノン議会に送り、一定の政治的影響を持つに至っている。しかし国際社会からは依然としてテロ組織と見られており、そのイランやシリア(アサド政権)寄りの姿勢に対してはレバノン内部や他のアラブ諸国からの反発も多い。とくにシリアの反アサドを掲げた改革派の蜂起から始まったシリア内戦に関してはアサド政権を軍事支援していると言われている(正式には認めていないが)。
ガザ戦争の拡大
2023年10月7日、パレスチナ自治政府でガザ地区を実効支配していたハマスがイスラエルに対する奇襲を行い、ネタニヤフ政権が直ちに反撃、ガザ戦争が始まった。ハマスを支援してイスラエルを攻撃 このハマスのイスラエル侵攻の翌日、ヒズボラがやはりイスラエルへの攻撃を開始した。ハマスに連帯しての参戦だった。イスラエルは南のハマスと北のヒズボラとの両面での戦いを強いられた。さらに遠く、アラビア半島の先端のイエメンのシーア派武装組織フーシ派もミサイルでイスラエルを攻撃した。
イスラエルはシーア派の民兵組織であるヒズボラやフーシ派の背後にはイランがあると見ており、戦争がイランとイスラエルの全面的な対決となることが予想された。当初はヒズボラとイスラエルの交戦は小規模なものであったが、北部イスラエルの住民がヒズボラの攻撃を避けて中部、南部に避難し始めると、イスラエル軍がヒズボラに対する強硬策を主張するようになり、2024年9月、イスラエルはヒズボラに対する大規模な攻勢に転じた。大きな打撃を受けたヒズボラは、同年11月にイスラエルとの停戦に応じた。<高橋和夫『イランとアメリカ、そしてイスラエル』2026 朝日選書 p.17>
参考 イスラエルのヒズボラ壊滅作戦
イスラエルは2006年にヒズボラの壊滅を図ったが失敗した。それ以後、イスラエルは、イランの支援で高度な防空システムやミサイル装備をもつヒズボラを徹底的に叩くための謀略を進めていった。まず対外諜報機関モサドと軍のサイバー部門である「第8200部隊」の共同作戦によって、ヒズボラのミサイル装備、地下壕、武器庫の場所、幹部の動向などの情報を徹底的に集め、監視体制を作り上げた。この諜報活動が徐々に効果を上げ始めていた。イスラエルの諜報活動で成功した例には、日本製のポケベルに爆薬を忍び込ませ、遠隔操作で爆発するような装置を作った例がある。何年もかけて改良し2018年に両手で操作すると暗号を受信できるポケベルを完成させた。それは、両手で操作すると爆発し、両手が吹き飛ぶというものだった。そんなポケベルをモサドの女性職員が発案したという。それをヒズボラに売り込みのに成功した。ところがモサドの諜報部員からこのポケベルの秘密がバレそうだという連絡が入った。そう聞いたネタニヤフ首相は「それなら、今すぐに!」と発言した。2024年9月17日、イスラエル側がポケベルのスイッチを入れた。爆薬が少なかったので死者は15人と少なかったが、3300人が両手と眼を傷つけられた。この諜報作戦はアメリカにも知らされなかった。首相は作戦が成功したのを受け、10月と想定していたヒズボラへの総攻撃を早め、9月20日にヒズボラの特殊部隊の指揮官たちの会合が開かれることを察知し、その場所を空爆した。ヒズボラの特殊部隊は指揮官たちを失い、動きを封じられた。<高橋『同上書』 p.108-113>
NewS イスラエルによる最高指導者の殺害
9月22日からイスラエル空軍は4波にわたって空爆を行い、ヒズボラの長距離ミサイルを破壊した。発射装置は民家に隠されていたのだが、イスラエル軍はミサイルの「家主」を掌握しており、テレビ・ラジオの電波をジャックして事前に「家主」に逃げるようにと警告したという。ネタニヤフ首相とガラント国防省は最終目的であるヒズボラの最高指導者ナスラッラーの居所捜索を命じた。堅固な地下壕に逃げ込む前に殺害しなければならないと考えた。ナスラッラーはイスラエルの攻撃が始まると想定していなかったので、地下壕に入らないでいた。その動きはすべてイスライル側に盗聴されていた。9月27日、イスラエル空軍のF15戦闘機14機がベイルートを空爆、84トンの爆弾をヒズボラの最高指導者ナスラッラーの隠れていた地下壕に向けて投下した。ナスラッラーは地下15mのバンカーにいた。バンカーは崩れなかったが、爆発によって酸素がなくなり、ナスラッラーは窒息死した。ちょうどこの時、ニューヨークの国際連合総会ではイスラエルのネタニヤフが演説していたが、多くの国の代表がイスラエルのガザ攻撃に抗議して退席しており、ガラガラの総会場での熱弁だった。イスラエルの国際社会での孤立を象徴する情景であったが、ネタニヤフは強硬な姿勢を崩さず、現地ではイスライル空軍のヒズボラ拠点への空爆を続けた。ネタニヤフが、これだけ国際世論を無視することが出来るのは、アメリカのトランプ大統領の支持があったからである。<高橋『同上書』 p.88,117>
イスラエルのイラン攻撃準備
イスラエルは、諜報能力を最大限発揮して、ピンポイントで最高指導者を爆撃して殺害し、ミサイルを破壊して反撃能力を無くし、ヒズボラの戦闘員と民間人を何千人と殺害した。イスラエルのガラント国防相によれば、ヒズボラは戦争前までテルアビブやエルサレムを射程に入れたミサイルを5500発保有していたという。射程の短いカチューシャ・ロケットは4万4千発保有していた。現在は前者が800発、後者が1万発以下になっている。ヒズボラのの戦闘能力が大きくそがれたことは事実だ。これによってイスラエルのイラン攻撃を抑止していたヒズボラの脅威は大幅に低下した。<高橋『同上書』 p.121 同書にはイスライルのヒズボラ壊滅作戦について詳細な記述がある。>それが2026年2月28日、アメリカとともにイランを攻撃、イラン戦争に突入した前提である。しかしヒズボラの抵抗は終わっていないようだ。アメリカとイランの停戦交渉が進まない理由の一つに、依然としてイスライエルがヒズボラ攻撃をやめられないでいるところにあるようだ。<2026/6/10記>