2023~25年 ガザ戦争
2023年10月7日、ガザ地区を実効支配するハマスが、イルラエルに軍事侵攻し、200名以上の人質を連れ去った。イスラエルのネタニヤフ政権はただちに反撃し、ガザ地区に大規模な軍事行動を行い、多数の犠牲者がでた。2025年10月、停戦が成立したが、完全な平和回復には至っていない。
2023年10月7日、ガザ地区を実効支配するイスラーム原理主義集団ハマスは、イスラエルに向けてロケット弾を発射、さらに陸上でも国境をブルトーザーで破壊し、地下トンネルを利用して侵攻した。ロケット弾では多数のイスラエル市民が殺害され、さらに国境近くで野外コンサートをしていた人など200人以上の一般市民(イスラエル人以外も含む)が人質として連行された。前年のロシアによる侵攻から始まったウクライナ戦争が続いている中、再び軍事強国による侵攻が行われたことで、世界に大きな衝撃を与えた。同時に第二次世界大戦後の大きな紛争の一つであるパレスチナ問題=中東問題が未解決で続いていることを否応なく印象づけることとなった。
ユダヤ教の祭終了の翌日、10月7日早朝、ハマスの122人のコマンドがガザ北部の封鎖隔離壁を爆破してイスラエルに突入、イスラエルの「ガザ分隊」を襲撃した。不意を突かれたイスラエル兵の多くは殺害され、5000人規模で捕虜となった。爆破された隔離壁を越えてガザ北部のパレスチナ人住民もイスラエル国内になだれ込み、コマンドと共にイスライル兵士と激しい銃撃戦が行われた。近くで開催されていた音楽フェスティバルの参加者が銃撃戦に巻き込まれ、1200人が死亡し、240人におよぶ人々がガザに連れ去られた。犠牲者はユダヤ人だけではなく、出稼ぎに来ていたタイ人労働者なども含まれていた。ハマスはこの行動をパレスチナ民族解放戦争であると声明を発し、連れ去った人質は戦争捕虜であるから「ヨルダン川西岸・ガザの占領停止とイスラエル刑務所に収監されているパレスチナ人の釈放」と引き換えに解放するとした。
イスラエルのネタニヤフ政権は、かねてから狙っていたハマス絶滅の好機と捉え、ただちに報復を開始した。イスラエル軍の空爆は間断なく続けられ、ガザ地区の主要都市を破壊し、多数のパレスチナ人が犠牲となり、水・電気・ガス・道路などのライフラインは全面的に遮断された。ガザ北部を軍事占領したイスラエルは、地域の110万のパレスチナ人にガザ南部への避難を勧告した。
2023年11月22日の「パレスチナ情報センター」報告に依れば、この時点までのガザ住民の犠牲は死者1万4128人、そのうち子供が5840人、女性が3926人に達していた。10月31日にはイスラエル軍はガザ最大の難民キャンプであるジャバリーヤに大規模な爆撃を加えたが、この行為は各国にイスラエルのジェノサイドであるとの確信をいだかせた。12月8日に国連安保理は二度目の停戦決議を議題としたが、アメリカなどが拒否権を発動して再び成立しなかった。12月30日には南アフリカが国際司法裁判所(ICJ)にイスラエルがジェノサイドを行っていると提訴した。それをうけて国際司法裁判所は2024年1月25日、イスラエルにジェノサイドにあたる行為の停止を暫定措置として命じた。しかしイスラエルとアメリカはこれを無視し、戦闘と緊急支援物資の搬入阻止を続けた。
パレスチナの難民支援では、国連のパレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が活動していたが、イスラエルはUNRWAが10月7日のハマスの攻撃を手助けしたと非難した。アメリカも同調したため、国連はその資金の縮小に応じなければならなかった。2024年7月19日、国際司法裁判所はイスラエルによるパレスチナの占領政策を国際法違反であるとの判断を示し、イスラエルに対して可能な限り速やかな占領の終結、入植活動の即時停止と撤退、およびパレスチナ人の被害に対する賠償の義務を勧告した。
また機能不全に陥った安保理に代わり国連総会がパレスチナ支援の動きを見せ、加盟国193ヶ国のうち、145ヶ国がパレスチナ国家を承認した。5月10日には総会でアラブ諸国が中心となってパレスチナの国連加盟を安保理が再検討するよう決議案を提出し、多数で可決された。その後も11月20日の安保理はガザ停戦を求める4度目の決議案がアメリカの拒否権で否決されたが、翌日には国際刑事裁判所(ICC)はネタニヤフ首相とガラント国防相に逮捕状を発行した。
<以上、主として藤田進・世界史研究所篇『世界史の中の「ガザ戦争」』2025/8/25 大月書店による>
アメリカのトランプ政権も歩調を合わせ6月22日にイランに対する空爆を行い、核施設3ヵ所を破壊した、と発表した。アメリカはイランを「テロ支援国家」として名指しで非難しており、トランプ大統領はイスラエルの対テロ戦争を支援するための攻撃であり、完全に成功した、と語った。アメリカ空軍のB2ステルス戦闘機6機が地中貫通弾「バンカーバスター」12発と、潜水艦からの巡航ミサイル「トマホーク」30発を発射して地下核施設を破壊したとしているが、イラン側は核施設は攻撃前に別なところに移していたので被害はなかったと発表した。IAEAは各施設周辺での放射能レベルの上昇は認めらなかったと言っている。まぎれもない核施設を標的にした攻撃であって、イランが報復に出れば核戦争の危険が高まる事態が予想された。
このイスラエル・アメリカとイランの間の戦闘は12日間に亘って行われたが、イランはアメリカとの停戦交渉を受け入れ、停戦が成立した。イラン側には防空システムが破られたこと、国内のイスラーム教シーア派の宗教指導者が統治する体制が危うくなることを避ける必要があったことなどから、停戦に応じたと思われる。戦争は終わり「12日間戦争」といわれることとなったが、この間もガザでの戦闘犠牲者は続き、870人が犠牲となっていた。トランプ大統領にとっては大きな軍事的成功を収めた形となったが、核開発は平和利用に限定していると主張するイランは対米不信を募らせ、国際的には核拡散防止条約(NPT)の存続が危うくなる(イランは加盟国)ことが懸念されている。<朝日新聞 2025/6/14,6/23 などによる>
ただし、パレスチナの現状は、ヨルダン川西岸を統治する暫定政府(ファタハが主導)とガザ地区のハマス政府に分裂しており、仮にハマス政府が倒されたとしても、地理的に離れており、統一国家として成り立つのか、疑問は大きい。国連が現在も掲げているオスロ合意に基づく「二国家共存」の原則はもはや不可能とする見方も出始めており、一つの国家のもとでユダヤ人とパレスチナ人が共存できる国家を目指すべきだ、という声も上がり始めている。<イラン・パペ/早尾貴紀監訳『イスラエル・パレスチナ紛争をゼロから理解する』河出新書 2025/11/30>
ガザでは2023年10月の戦闘開始以来、停戦が成立した2025年10月までの2年間で、犠牲者(死者)は6万7千人以上となった。ガザ地区は殆どが破壊され、ライフラインは遮断されたまま人道危機が広がっている。<朝日新聞 2025/10/9 夕刊>
しかし、人質で亡くなった人の遺体の返還は予定通りには進まず、イスラエル側の不信がたかまった。イスラエル側はガザ地区のテロリストがまだ活動を続けているとして、停戦後も交戦を繰り返している。第2段階以降の合意内容で最も受け入れが難しいとされている武装解除・ガザからの撤退に、ハマスがそのまま応じることはないとみられており、反発したハマスの武装組織が抵抗することも危惧され、ハマスと敵対する武装集団との内戦の勃発も懸念されている。ガザ戦争の本質的な和平にはなお困難が予測されている。<2025/12/18記>
ガザ地区 「天井のない牢獄」
ガザ地区は、長い第3次中東戦争でイスラエル軍が占領、その後オスロ合意に基づき、2005年に撤退したが、2006年にパレスチナの全面解放を主張するハマスが選挙で勝って台頭したことで緊張が高まり、イスラエルは2007年からガザ地区の経済封鎖を実行した。同年、ハマスはファタハ(PLOの主流)との内戦に勝ってガザ地区の政権を握ったが、それに対して2008年12月、イスラエルはガザ地区を空爆、ハマスはロケット弾で反撃してガザ戦争となった。散発的な戦闘はその後も続き、イスラエルはテロの防止を理由として封鎖を教化したため、ガザ地区は2007年6月以来、「天井のない牢獄」といわれる状況に置かれていた。そのような中でガザのパレスチナ人の生活は困窮を極め、政治的自由の欠如は深刻になっていった。 → ガザ地区の項を参照パレスチナ問題の変質
1973年の第4次中東戦争の後、1980年代以降のパレスチナ問題はエジプトがイスラエルと国交を開いたのを機に大きく転換し、1993年のオスロ合意の成立で「二国家共存」の国際的合意が成立し、解決に向かうとの期待が高まった。しかし、オスロ合意は肝腎のイスラエルとパレスチナの当事者に強い不満の残る内容だった。また大きな世界情勢として冷戦時代が終わり、1991年にはソ連が崩壊したことで、パレスチナ問題解決の国際的枠組みが困難となったことも背景にあった。軍事大国に変質したイスラエルに対してかつてパレスチナ解放運動の主役だったPLOに代わって台頭したハマスやヒズボラなどの抵抗組織が戦う、国家間の戦争から不正規な戦争の連続へ、と変質した(一時イスラエルとイランの国家間戦争に転化したが本格化しなかった)。これは国際法上の戦争の枠組みでの「戦争」でないので、ますます複雑な力関係が入り組み、解決は困難になっていった。その1973年の第4次中東戦争からちょうど50年後の2023年にガザ戦争が起こったのだった。ガザ戦争の勃発
2023年10月7日、ガザ地区(人口230万)のハマス政府はイスラエルに向けてロケット弾を発射、さらに陸上部隊がブルトーザーを使ったり、地下トンネルを利用したりしながら越境攻撃した。ハマス政府はイスラエルがユダヤ教の秋祭り(スコット祭)の期間中にイェルサレムの聖地アル=アクサ=モスクを占拠したことに反発し、また祭り期間の終了後にイスラエル軍がガザ地区に一斉攻撃を計画しているとの情報をつかんでいたという。そこでハマス政府はこの軍事行動を「アル=アクサ洪水」と名付けていた。ユダヤ教の祭終了の翌日、10月7日早朝、ハマスの122人のコマンドがガザ北部の封鎖隔離壁を爆破してイスラエルに突入、イスラエルの「ガザ分隊」を襲撃した。不意を突かれたイスラエル兵の多くは殺害され、5000人規模で捕虜となった。爆破された隔離壁を越えてガザ北部のパレスチナ人住民もイスラエル国内になだれ込み、コマンドと共にイスライル兵士と激しい銃撃戦が行われた。近くで開催されていた音楽フェスティバルの参加者が銃撃戦に巻き込まれ、1200人が死亡し、240人におよぶ人々がガザに連れ去られた。犠牲者はユダヤ人だけではなく、出稼ぎに来ていたタイ人労働者なども含まれていた。ハマスはこの行動をパレスチナ民族解放戦争であると声明を発し、連れ去った人質は戦争捕虜であるから「ヨルダン川西岸・ガザの占領停止とイスラエル刑務所に収監されているパレスチナ人の釈放」と引き換えに解放するとした。
イスラエルのネタニヤフ政権は、かねてから狙っていたハマス絶滅の好機と捉え、ただちに報復を開始した。イスラエル軍の空爆は間断なく続けられ、ガザ地区の主要都市を破壊し、多数のパレスチナ人が犠牲となり、水・電気・ガス・道路などのライフラインは全面的に遮断された。ガザ北部を軍事占領したイスラエルは、地域の110万のパレスチナ人にガザ南部への避難を勧告した。
ガザ戦争と国際社会
このような事態に対し、国連安保理は10月18日に停戦決議を謀ったがアメリカが拒否権を行使し、否決された。イスラエルのガラント国防相は最終的な軍事目標はハマスを完全に絶滅させることだと表明、イスラエル軍は「テロリストのハマス絶滅」を口実に、ガザ南部への空爆を拡張したため、パレスチナ住民は南部への避難も断たれ、爆撃を避けるため病院などに殺到した。イスラエル軍は、病院に対してもテロリストの隠れ場所になっているとして空爆を行い、多数の犠牲者が出た。このイスラエル軍の病院爆撃は広く世界に報道され、国際的な非難が巻き起こった。WHO(世界保健機構)も事態を重視、現地で調査にあたったが、病院がハマスの軍事拠点でアル証拠は見つけられなかったと表明した。2023年11月22日の「パレスチナ情報センター」報告に依れば、この時点までのガザ住民の犠牲は死者1万4128人、そのうち子供が5840人、女性が3926人に達していた。10月31日にはイスラエル軍はガザ最大の難民キャンプであるジャバリーヤに大規模な爆撃を加えたが、この行為は各国にイスラエルのジェノサイドであるとの確信をいだかせた。12月8日に国連安保理は二度目の停戦決議を議題としたが、アメリカなどが拒否権を発動して再び成立しなかった。12月30日には南アフリカが国際司法裁判所(ICJ)にイスラエルがジェノサイドを行っていると提訴した。それをうけて国際司法裁判所は2024年1月25日、イスラエルにジェノサイドにあたる行為の停止を暫定措置として命じた。しかしイスラエルとアメリカはこれを無視し、戦闘と緊急支援物資の搬入阻止を続けた。
パレスチナの難民支援では、国連のパレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が活動していたが、イスラエルはUNRWAが10月7日のハマスの攻撃を手助けしたと非難した。アメリカも同調したため、国連はその資金の縮小に応じなければならなかった。2024年7月19日、国際司法裁判所はイスラエルによるパレスチナの占領政策を国際法違反であるとの判断を示し、イスラエルに対して可能な限り速やかな占領の終結、入植活動の即時停止と撤退、およびパレスチナ人の被害に対する賠償の義務を勧告した。
また機能不全に陥った安保理に代わり国連総会がパレスチナ支援の動きを見せ、加盟国193ヶ国のうち、145ヶ国がパレスチナ国家を承認した。5月10日には総会でアラブ諸国が中心となってパレスチナの国連加盟を安保理が再検討するよう決議案を提出し、多数で可決された。その後も11月20日の安保理はガザ停戦を求める4度目の決議案がアメリカの拒否権で否決されたが、翌日には国際刑事裁判所(ICC)はネタニヤフ首相とガラント国防相に逮捕状を発行した。
ガザ戦争の拡大
しかしイスラエルは、「ガザ戦争」をパレスチナ以外に拡大して情勢の転換をはかった。2024年7月31日にはイランのテヘランに滞在していたハマス最高幹部のイスマイール=ハニーヤを暗殺、9月には、ハマスを支援するレバノンのヒズボラに対する越境攻撃を引きおこした。他にも、ハマス支援でイスラエルにミサイルを発射した南イエメンのフーシ派に対しても報復攻撃を行った。2024年末にはさらに情勢は変化し、ロシアやイランの支援が弱まったシリアのアサド独裁政権が2024年12月に崩壊した。ヒズボラはイスラエルとの休戦に応じた。2025年1月19日にはイスラエルとハマスの間で一時停戦の合意がなされたが、3月18日はイスラエルがガザ地区に大規模な攻撃を再開し、停戦は実らなかった。その背景には同年1月、アメリカでトランプ大統領が再登場し、イスラエル支援を再び明言したからであった。トランプは、ガザ地区の問題を自らの手で解決し、業績としようとしたがそれは一方的にイスライル寄りであったため、国際的な支持も得られなかった。トランプの提案は、ガザと西岸のパレスチナ人の200万余りをパレスチナの地から立ち退かせ、空き地になったガザ南部地区をアメリカが所有してリゾート開発するというもので、パレスチナ住民だけでなく内外から厳しい批判を浴びた。<以上、主として藤田進・世界史研究所篇『世界史の中の「ガザ戦争」』2025/8/25 大月書店による>
イスラエル・アメリカのイラン核施設空爆
さらに2025年6月13日には、イスラエル空軍が、ハマスなどのテロリストを支援しているとしてイラン=イスラーム共和国に対する空爆を実行した。イスラエル空軍はイラン中部のナタンズにあるウラン濃縮施設や弾道ミサイル発射拠点100ヵ所を戦闘機で空爆、イラン革命防衛隊サラミ総司令官などを殺害した、と伝えている。イランの核科学者6人も死亡した。イランも同日、イスラエルに向けて100機以上のドローンを発射した。イランのハメネイ最高指導者はイスラエルのシオニスト政権に厳しい処罰を加えるとの声明を発表した。アメリカのトランプ政権も歩調を合わせ6月22日にイランに対する空爆を行い、核施設3ヵ所を破壊した、と発表した。アメリカはイランを「テロ支援国家」として名指しで非難しており、トランプ大統領はイスラエルの対テロ戦争を支援するための攻撃であり、完全に成功した、と語った。アメリカ空軍のB2ステルス戦闘機6機が地中貫通弾「バンカーバスター」12発と、潜水艦からの巡航ミサイル「トマホーク」30発を発射して地下核施設を破壊したとしているが、イラン側は核施設は攻撃前に別なところに移していたので被害はなかったと発表した。IAEAは各施設周辺での放射能レベルの上昇は認めらなかったと言っている。まぎれもない核施設を標的にした攻撃であって、イランが報復に出れば核戦争の危険が高まる事態が予想された。
このイスラエル・アメリカとイランの間の戦闘は12日間に亘って行われたが、イランはアメリカとの停戦交渉を受け入れ、停戦が成立した。イラン側には防空システムが破られたこと、国内のイスラーム教シーア派の宗教指導者が統治する体制が危うくなることを避ける必要があったことなどから、停戦に応じたと思われる。戦争は終わり「12日間戦争」といわれることとなったが、この間もガザでの戦闘犠牲者は続き、870人が犠牲となっていた。トランプ大統領にとっては大きな軍事的成功を収めた形となったが、核開発は平和利用に限定していると主張するイランは対米不信を募らせ、国際的には核拡散防止条約(NPT)の存続が危うくなる(イランは加盟国)ことが懸念されている。<朝日新聞 2025/6/14,6/23 などによる>
パレスチナ国家承認の動き広がる
イスラエル・アメリカのイラン空爆の後、世界各国の中にパレスチナを国家として承認する動きが広がった。7月のフランス・マクロン大統領、イギリス・スターマー首相・カナダのカーニー首相など、G7首脳が次々と表明、9月には国連加盟国(193ヶ国)の中で150ヶ国が承認した。パレスチナ暫定自治行政府は現在国連ではオブザーバー加盟であるが、国家承認が進めば正式な加盟国となる道が開ける。国連総会は9月24日のハイレベルウィークに「二ヶ国解決」をめぐる国際会議を開催、約30国の首脳が登壇し、パレスチナ自治区ガザでの人道危機の深刻化を受け、イスラエルに圧力をかけるためパレスチナの国家承認が必要だと訴えた。それに対してアメリカとイスラエルは強く反発した。またドイツはイスラエル支援の立場から承認を否定している。日本政府(石破内閣)も慎重姿勢を取り国家承認を見送った。ほかに見送った主要国は韓国、イタリア、オランダなどである。<朝日新聞 2025/9/24>ただし、パレスチナの現状は、ヨルダン川西岸を統治する暫定政府(ファタハが主導)とガザ地区のハマス政府に分裂しており、仮にハマス政府が倒されたとしても、地理的に離れており、統一国家として成り立つのか、疑問は大きい。国連が現在も掲げているオスロ合意に基づく「二国家共存」の原則はもはや不可能とする見方も出始めており、一つの国家のもとでユダヤ人とパレスチナ人が共存できる国家を目指すべきだ、という声も上がり始めている。<イラン・パペ/早尾貴紀監訳『イスラエル・パレスチナ紛争をゼロから理解する』河出新書 2025/11/30>
ガザ戦争 停戦の動き
ガザ戦争が長期化し、イスラエルの強硬な姿勢が目立つようになると、それをささえるトランプ政権の支持率が低下し始めた。国内の支持基盤であるキリスト教福音派をつなぎ止めておく必要からも、ガザ戦争の停戦を実現が急がれることになった。2025年9月、トランプ大統領がガザ紛争包括的終結計画をイスライルとハマス双方に提示した。10月10日、合意に達し、ガザ戦争の停戦が成立した。和平実施は段階的に行われることになり、第一段階としてイスラエル軍の撤退開始がはじまり、次ぎにハマスの人質(50名と言われる捕虜)となっていたイスラエル人の生存者20名と、イスラエルに収監されていたパレスチナ人約2000人が交換され、解放された。ガザでは2023年10月の戦闘開始以来、停戦が成立した2025年10月までの2年間で、犠牲者(死者)は6万7千人以上となった。ガザ地区は殆どが破壊され、ライフラインは遮断されたまま人道危機が広がっている。<朝日新聞 2025/10/9 夕刊>
しかし、人質で亡くなった人の遺体の返還は予定通りには進まず、イスラエル側の不信がたかまった。イスラエル側はガザ地区のテロリストがまだ活動を続けているとして、停戦後も交戦を繰り返している。第2段階以降の合意内容で最も受け入れが難しいとされている武装解除・ガザからの撤退に、ハマスがそのまま応じることはないとみられており、反発したハマスの武装組織が抵抗することも危惧され、ハマスと敵対する武装集団との内戦の勃発も懸念されている。ガザ戦争の本質的な和平にはなお困難が予測されている。<2025/12/18記>