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ガザ地区

1967年の第3次中東戦争でイスラエルが占領した。2004年に撤退し、パレスチナ人の自治が行われることになったが、イスラエルはイスラーム原理主義勢力のハマスがこの地域を拠点にテロ活動をしているとして、攻撃を加えている。

ガザ地区 GoogleMap

パレスチナ南西の地中海岸で、シナイ半島に接し、交通の要衝である。1947年の国連パレスチナ分割案ではパレスチナ人地区とされたが、48年第1次中東戦争が起きるとエジプト軍が占領し、第2次中東戦争では国連軍の監視下に置かれた。
 なお、古代のガザは、前332年に東方遠征途上のアレクサンドロスに攻撃されている。パレスティナ地方ではガザだけが頑強に抵抗した。町は海から4キロ離れ、潟と砂地に囲まれた丘の上にあり、アレクサンドロスは周囲に土壇を築きその上から攻城兵器で攻撃し、2ヶ月に及ぶ包囲戦の末、男性住民は全滅し、女子供は奴隷に売られた、という。<森谷公俊『アレクサンドロスの征服と神話』興亡の世界史1 2007 講談社 p.122>

イスラエルの軍事占領

 1967年の第3次中東戦争で、イスラエル軍が軍事占領し、以後ユダヤ人の入植が進み、パレスチナ人との間の衝突が続いた。広さは約360平方km、奄美大島ほどにすぎないが90万人のパレスチナ人が難民が生活し、その地をイスラエルの入植者が奪い、人口密度は世界で最も高い地域になっている。

Episode 世界有数の人口稠密地帯

(引用)1948年のイスラエル建国と第1次中東戦争を機に、パレスチナを追われたアラブ人が難民となってガザ地区に押し寄せ、戦争前の8万人から24万人に急増し、応急のテントが仮設され、海岸の崖を切り抜いた穴に収容された。これがやがて難民キャンプとして広がり、現在は人口150万の8割が八つの難民キャンプで生活するなど、世界有数の人口稠密地帯となってしまった。<森戸幸次『中東和平構想の現実―パレスチナに「二国家共存」は可能か』2011 平凡社新書 p.141>

パレスチナ人の抵抗とオスロ合意

 1987年12月にはガザ地区のパレスチナ人の自発的暴動(インティファーダ)が起こり、はげしいイスラエルの軍事占領に対する抵抗運動を展開した。冷戦終結後の1993年のオスロ合意でパレスチナ暫定自治が成立、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファトが帰還した。しかしその後イスラエルに右派政権が出現したため対立は継続した。
 2001年の9.11同時多発テロではイスラエルはガザ地区のイスラーム過激派を制圧するとして軍事行動を行い、戦車を侵入させた。このようなイスラエルの高圧的姿勢は次第に国際的な反発を強め、アメリカはイラク戦争と並行してパレスチナ和平のためのロードマップ作成に乗りだした。

イスラエルの撤退

 2004年1月イスラエルのシャロン首相は一方的にガザ地区の入植者と軍隊の撤退を発表したが、それは残るヨルダン川西岸の確保と引き替えという面が強いと言われている。2005年8月22日、予定通りイスラエルはガザ地区から撤退した。

ハマスの台頭と経済封鎖

 しかし、ガザ地区にはヨルダン川西岸のPLO主流派ファタハのアッバス政権の和平推進路線に反対するイスラーム原理主義系のハマスが台頭し、2006年には選挙でハマスが勝利して政権を握った。イスラエル側はハマスをテロリストとして交渉を認めず、和平は中断し、アメリカも同調して経済断交に踏み切った。このためハマスの統治するガザ地区は孤立し、経済的な危機に陥ったが、ガザではエジプトとの国境線の地下にトンネルを掘り、そこから食料、医薬品、武器などを補給して凌いだ。
ガザ地区の「トンネル経済」 ガザとエジプトの間には1000を越えるトンネルが掘られ、地下で働く労働者は約6000人におよび、食事を提供するレストランも何軒か存在するという。トンネルを通じて密輸されるのは、必需品の食料品、飲料水、衣服、化粧品、薬品、日用雑貨から冷蔵庫、コンピューターなどの電化製品、セメント、食肉加工用の家畜に至るまでありとあらゆる商品であり、パイプラインを引いてディーゼル油を輸入したケースもある。イスラエルは武器や武器の部品が含まれているとして、トンネルに攻撃を加えたが、数が多すぎて効果はなかったという。<臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』2013 講談社学術文庫 p.352>

ガザ戦争

 2008年12月、イスラエルは1週間にわたってガザ地区に対して空爆を行い、ハマスの幹部3名を含むパレスチナ人400人以上を殺害した。しかしハマスは反撃し、射程40キロメートルの手製ロケット弾カッサーム砲弾でイスラエルに砲撃を加え、イスラエル人4名が死亡した。イスラエルは翌2009年1月、イスラエル南部の安全を確保するためとして地上部隊を侵攻させた。ハマスはカッサーム弾1000発以上保有していたが、その3分の1が破壊されたという。ハマスは、軍事部門カッサーム隊を中核に武装勢力1万5千が地下壕に潜ってイスラエル軍と戦い、損害を与えた。<森戸幸次『中東和平構想の現実―パレスチナに「二国家共存」は可能か』2011 平凡社新書 p.134>

NewS ガザで戦闘激化

 2021年5月、イスラエル軍はパレスチナ自治区ガザ地区に対し激しい空爆を行った。14日には地上部隊を投入したことも明らかにした。今回の空爆の発端は、イェルサレムで4月中旬、イスラーム教のラマダーン(断食月)の開始に当たり、イスラエル当局がイェルサレム旧市街入り口でパレスチナ人の出入りを制限したことに対してパレスチナ側が反発、一方でパレスチナ人の少年がユダヤ教徒の顔を叩く動画が動画アプリにアップされたことでユダヤ側がパレスチナ人排斥を叫ぶという非難の応酬が起こったことだった。同時に東イェルサレムのパレスチナ人居住区で裁判所が約500人のパレスチナ人の退去を命じたことも衝突を大きくする要因だった。
 イスラエルが実効支配する東イェルサレムでパレスチナ人に対する退去命令が出されたことに抗議し、パレスチナ自治区のガザ地区を支配するイスラーム過激派勢力のハマスが5月10日夜、ガザ地区からイスラエル軍に対してロケット弾を発射(イスラエル側発表だと約1800発)、14日にそれに対する報復措置としてイスラエルがガザ地区を空爆したのが今回の経緯である。ガザ地区ではラマダーン開けの祝いの日であり子どもを含む多数が犠牲になり、ハマスは恐慌に反発した。イスラエルは総選挙をひかえ、与党リクードを率いるネタニヤフ首相は強硬な姿勢で支持を得ようとし、ハマスはパレスチナ内部でのアッバス議長に対抗することも目指し積極的な攻撃に出たものと思われる。<朝日新聞 2021/5/15 記事より>
 イスラエル軍はガザ地区への空爆と地上軍による砲撃で軍事拠点を破壊し、大きな成果を上げた、都発表、一方のガザ地区保健省は死者は子ども65人を含む232人、けが人は1900人と発表した。さらに全面的な戦争にエスカレートして、第5次の中東戦争になることが懸念されたが、今回はエジプトが仲介に動き、2021年5月20日、双方代表が停戦を受け入れた。<朝日新聞 2021/5/21 記事より>
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森戸幸次
『中東和平構想の現実
―パレスチナに「二国家共存」は可能か』
2011 平凡社新書

時事通信特派員として長く中東に滞在した筆者が、直接ガザ地区の自治の実態を取材したルポ。ガザ地区の情報に詳しい。


臼杵陽
『世界史の中のパレスチナ問題』
2013 講談社現代新書

古代から現代までをカバーしてパレスチナ問題の歴史的経緯を詳細に解説。新書版にしては大部だが最新情報まで含んでいて便利。