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ユダ王国

前926年、ヘブライ王国が分裂した後の南部の王国。都はイェルサレム。前586年に新バビロニアに滅ぼされた。

 ヘブライ王国の北部がイスラエル王国として分離独立した後の、パレスチナ南部をユダ王国という。ダヴィデ王、ソロモン王のユダ一族の王位を継承したのでユダ王国と言われる。都はイェルサレムを継承。

ユダ王国のその後

 北のイスラエル王国の王権は不安定であったが、ユダ王国ではダヴィデの子孫がほぼ王位を継承し、イェルサレムのヤハウェ神殿の祭司の権威を背景にした王政は比較的安定し、イスラエル王国とも抗争と同盟関係を繰り返しながら存続した。前722年にイスラエル王国アッシリアに滅ぼされ、その圧力はユダ王国にも及んだが、ユダ王国はアッシリアへの朝貢を続け、事実上はその属国となったが王国は安泰であった。

ユダ王国の滅亡

 前7世紀にオリエント世界を統一したアッシリア帝国に対し、ユダ王国は朝貢関係を続けて事実上の属国として、一応の独立を維持した。しかしアッシリア帝国が滅亡して動乱の時代にはいるとユダ王国にも危機が訪れた。一時はエジプトが進出し、ネコ王がユダ王国を支配、まもなく北方から新バビロニアが進出し、その支配下に入った。ユダ王国はエジプトの支援を期待して反乱を起こすが、それに対して新バビロニアのネブカドネザル王は前598~597年に遠征軍を派遣して反乱を鎮圧、イェルサレムを占領した。このとき、第一回のバビロン捕囚が行われた。前587~586年、ユダ王国は再び反乱し、ネブカドネザル王は再び遠征軍を派遣、今度はイェルサレム神殿を徹底的に破壊し、ユダ王国は滅亡した。これによって多数のヘブライ人がバビロンに連行され、第2回のバビロン捕囚が行われたが、一般に「バビロン捕囚」というのはこの時のことをいう。これによってユダ王国は滅亡し、パレスチナの地は新バビロニアの属州となった。ヘブライ王国から数えれば5百年に近い歴史(ほぼダヴィデ家の家系で継承された)はオリエントで希有なことである。
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ノートの参照
1章1節 オ.東地中海世界