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ペイシストラトス

前6世紀のアテネに現れた典型的な僭主。

前6世紀のアテネで、典型的な僭主政を行ったとされている政治家。前560年ごろ、自分の体を傷つけてアゴラに現れ、民衆の味方であるために政敵に襲われたと訴え、民会で自分を守るために50人の「棍棒持ち」を親衛隊とすることを認められ、それを使ってアクロポリスを占領して僭主となった。その後2度にわたりアテネを追われたが、そのつど謀略を用いて返り咲いた。彼は独裁政治を行ったが、従来の国制を変更することはなく、貧農救済や土木工事などを行ったり、宗教や文学を保護したり、民衆の支持をねらった政治を行った。

Episode ペイシストラトスの二人の息子

 ペイシストラトスには二人の息子、ヒッパルコスとヒッピアスがいた。父の死後二人は権力を継承したが、ヒッパルコスは同性愛のもつれからアリストゲイトンという男に殺されてしまった(前514年)。残ったヒッピアスは残酷な暴君と化したため、前510年に蜂起したアテネ市民によって追放され、ペルシアに逃れてダレイオス1世の宮廷に救いを求めた。マラトンに上陸したペルシャ軍を案内したのが、アテネに復帰することをもくろんだヒッピウスだった。しかしヒッピアスの野望は実現しなかった。
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第1章2節 カ.民主政へのあゆみ